ホームステイで初めてその家を訪れた時
お家が古くて(クラッシックで)大きい。西洋のお城みたい。正門から玄関まで植込みの中、白い砂利を敷き詰めた道。玄関前がロータリーになって、円柱2本が2階庇のバルコニーを支えている。洋風と和風の2つの広い庭園とテニスコートが2面あった芝の広場…お庭も広い! 正門(長屋門というらしい)の脇部屋には森さんという老夫婦が住んでいて、建物や庭の手入れをしているとのことだった。
1階は広いロビーの左手に大小2つのリビング、おじちゃんとおばちゃんそれぞれの執務室、右手には会議室と晩餐室、ダイニングルーム、バスルーム、トイレが2か所あった。
2階は、ご夫妻の寝室とその隣が私の部屋。廊下を隔てて向かい側には扉が5つあった。バルコニーに続いてサンルームのような部屋、その先にも大きな扉がある。…で、こんな大きな家にご夫妻と住み込みの森さん夫婦だけで暮らして他の使用人はみんな通いだ。施設育ちの私には別世界だ。 この家が、私のフレンドホームになってから4年。
今私は、養女として、暮らしている。
私は小田中美澄。以前は吉川美澄だつた。
私が通う東栄女学院は大学付属の中高一貫校。高等部は欠員が出た時だけ年末に募集する仕組みで、その編入試験に合格し、今は2年生。
お嬢様学校と言われているけど親が海外在住とか、東南アジアなどから留学生も多い。その人たちのため、キャンパスの隅に寄宿舎がある。本校生徒とどこかの皇太子様の出会いを記念したプリンセス館という古い洋館もあって、お客様の宿舎やゼミの合宿所として使われているらしい。あと植物園にあるような大きな温室があって熱帯植物がたくさんあるらしい。園芸部員や生物科学専攻の学生はここで育てたバナナを食べる特権があるという噂だ。
キャンパス入り口付近には付属の子ども園があって、教職員や学生の子供も預かってる。クラスメイトのフーちゃんも子どもを預けている。彼女の国では10代前半で子どもを産むのは普通の事らしい。フーちゃんとだけは親しく話ができる。私も、フーちゃんのように、ここに子どもを預けられる日が早く来たらいいなと思っている。
今日も、登校して席に着くや亜沙子が「スミちゃん、おはよう!」とにこやかに近づいてきた。しゃがみ込み、スカートの上で鼻をクンクンさせる。
「うーん、今朝もやってきたな、うらやましい。男の臭いがする。」と呟いて、私を見上げにっこりする。
「朝から妄想か、そんなに欲しいんなら、弟君とヤレ…」と言いかけたら、小さな声で「やめて…」と言って顔を赤らめ、席に戻って行った。
亜沙子は油断ならないやつだ。男の臭いがするというのは嘘だろうけど、いつもドキッとさせられる。勘が鋭い。
学園祭で大きな胸を弟の腕に押し付けて、頬をピンクに染めて見とれて歩いていたから、カマかけてやった。図星だ、ブラコンだ。追い払うには、弱点を突いてやればいいのだ。私に構わないでほしい。
今は小田中家の養女だが、それ以前は児童養護施設「ひまわり園」で暮らしていた。3歳で保護された。その時は死んだ母?の横で泣いていたそうだ。父や母のことは覚えていないが、母との写真が3枚残っている。母はシングルマザーだったのだろう。
園には8つのホームがあって、それぞれ6人暮らしている。私たちのひばりホームは女ばっかり、みんな仲良くて、中でも一番仲良しは美並ちゃん。私より一つ年上だけど、私が美並ちゃんに勉強を教え、美並ちゃんは悪ガキのいじめから私を守ってくれていた。いつも一緒。だからホームの先生たちから二人まとめて「ミミちゃん」と呼ばれていた。
勉強が好き、学習ボランティアの学生さんが来るのが楽しみ。図書委員になって学校でもホームでも本ばっかり読んでいた。
園長先生から社会に出ると学歴や資格は君が生きて行く武器になるよと励ましてくれた。書道や英語の検定などにも挑戦していた。
養家のご夫妻とは「ひまわり園創設記念日」恒例の子どもたちの合唱でステージに立った時、初めて見かけた。
上品な身なり、態度、おばさんのネックレスやイヤリングがキラッと光って、おじさんは高級そうなスーツを着て、福祉司の川口さんとにこやかに何か話していた。
ステージに立っていたら、そのおじさんとの目が合って、にっこりされて、ドッキリ、顔が火照り下を向いてしまった。
お金持ちで幸せそう、きっとこの二人に愛されて幸せな子どもたちがいるのだろう。どんな暮らしなのかしら、分からない。けど羨ましい。そんな一瞬の心の揺らぎをおじさんに見抜かれたように思えたのだ。私は親を知らない。
記念祭から1か月ほどして、児童相談所の福祉司、川口さんがきた。小田中夫妻からフレンドホームを提供したいと申し出があると言われた。フレンドホームとはホームステイ先のことだ。ホームステイや里子などは小さい子が選ばれることが多いのだ。私は一度も経験したことがなかった。それが中学生になって…なぜ?と考えないわけではなかった。
しかし、当時「ひまわり園」が辛くて、少しでも離れていたい私には願ってもない話だった。
面接に現れたのは記念祭のあのおじさんとおばさんだった。高級そうなものを身につけて、いい香りがした。
お姉さんたちのお下がりや寄付された古着の私は恥ずかしく、緊張してしまい何を話したのかも憶えていない。
最後に、川口さんが私に「小田中ご夫妻の印象はどうでしたか」と聞いてきた時、思わず「二人ともめっちゃカッコイイです」と答えてしまったことは覚えている。
私の秘密も話すべきか躊躇していると「夜尿症については、ご夫妻も快く受け入れ、ケアしてくれるとおっしゃっていますよ」と川口さん。 私、固まってしまった。
おばさんは「夫も私も子どもが大好きなのに、子どもの産めない体だと分かって苦しみました。私も40を過ぎ、夫も50歳近く、今更、乳児や幼児を迎えても、成人になるころ還暦を過ぎてしまう、体力に自信が持てません。いっそ10代の子が良いかなと話していて、そんな時、美澄さんを見て、その瞬間にアッこの子だと思いました。
美澄さんの下の子たちへの思いやりのある接し方。記念祭で拝見した書の迷いのない力強く美しい筆遣い、学校の成績はトップクラスで、IQ140。そして美しい。この出会いは奇跡だよねと夫とも申しています。まずはフレンドホームから始めて、美澄さんの意思を尊重しながら、叶うなら養女にと思っています。」
早速、ホームステイが始まった。
初めは月に一度、そのうち毎週、金曜日の夕方から日曜日の夕方まで大きな車で送迎してもらった。
小田中家の私の部屋は2階、隣はおじちゃんとおばちゃんの寝室で、廊下に出なくとも直接ドアで行き来ができる。
私の部屋、二十畳くらいある。最初は広くて落ち着かなかった。深紅のフカフカのカーペット、シャンデリア、本物のマントルピースの上には、おばちゃんのおばあちゃんの若い洋装の肖像画が掲げてある。アンティークな家具や椅子と大きな机、大きな姿見。大きい空っぽの書棚とウォークイン・クロゼット。ダブルベッドにはレースのカーテンが回されている。
用意されていたワンビースドレス、髪飾り、シルクのスベスベの肌着。
姿見に映った私、自分でもびっくりするくらい変身しちゃった。
「気に入ってくれた?サイズがピッタリで良かった」と優しく囁いてくれ、「はい!」って答えたら頬にキスされちゃった。…お姫様になった気分
初めて食べた、和牛ヒレステーキとコンソメスープ、そして楽しいおしゃべり。
私が学校で図書委員をしていることなどを話すとおじちゃんは色々と聞いてくれた。
初めてちゃんとお話しできて、カッコイイだけでなく優しい人と思った。
これって、一家団欒?
おばちゃんと洗いっこするお風呂、スベスベのシルクのパジャマ!
そして、おやすみなさい。
けど、広すぎる部屋、慣れない枕、固めのベッド…なかなか寝付けなくて…気づいたら真新しいパジャマもショーツもシーツまで濡らしてしまった。
初日から…失敗! 恥ずかしい、どうしよう、嫌われる。
フレンドホームはたった一日でお終いとシクシク泣いていると、隣の部屋から二人がきて、おじちゃんがお姫様抱っこでお風呂場まで運んでくれ、おばちゃんが体をきれいに洗ってくれた。
その夜は、私のベッドよりずっと大きなベッドにおばちゃんの良い匂いに包まれて寝た…これって「川の字」ってやつ?初めての経験。
土曜日はお買い物。本やドレスや肌着まで、どっさり買って、大きいリビングでファションショー!もちろんモデルは私!
父母に愛される暮らしって、こんなに楽しく、幸せなものなのだ!と思ってしまった。
日曜日、ひまわり園に帰る。小田中で身に着けていたものを全て脱いで、園から着てきたものに着替える。悲しかった。
実は、私には夜尿症のほかに、もう1つ誰にも言えない、もっと深刻な秘密があった。それは佐竹先生と美並ちゃんからの性的虐待…
先生が宿直する日の午前2時くらい、ドアが開いて廊下の空気とともに先生の臭いが流れてくる。鳥肌が立つ。目をつむって寝たふりをしているとパンツを剥ぎ取られ、お尻の下から痛いものをグイグイ差しこまれ、先生の体がブルブルってして、お腹に白い液体をまき散らされ…そのまま出て行く、それをティシュで拭きとり、パンツとパジャマを穿く、そして泣きながら寝付くのだ。
始まりは、中学生になったばかりの頃、夜中に失敗した下着やシーツを一階の洗濯機に入れ、風呂場でお股とお尻あたりをシャワーしていると、佐竹先生が風呂場をのぞき込んで「美澄か、お漏らししちゃったのか」と、
私が「うん」というと、そのまま宿直室に帰って行った。
部屋に戻って寝付きかけた時、先生がきて、私に覆いかぶさって「ちゃんと洗ったか、見せろ」と
「いゃ!」って抵抗したら低い声で「静かにしろ」
パンパン、頬を何度かぶたれた。怖くて抵抗をやめた。
お股から中にグリグリってものすごく痛いものが入ってきたので泣いた。そうしたら首を絞めて「泣くな、誰にも言うな」って、「言わない、言わない」っていうと出て行った。本当に死ぬかと思った。
朝起きたらシーツやパジャマが血で汚れていた。こっそり、洗濯した。
翌日から、仲良しだったはずの美並ちゃんが、私をにらみ、髪を引っ張り、カッターナイフを頬にピタピタしてきた。人気のないところに連れて行かれた。頭を押さえつけて、美並ちゃんのお股の割れ目を舐めるよう命令する。
抵抗しようとしたらナイフが首筋をたたく。怖くて必死で、一生懸命に舐める。
「ウン、ウン、あっイイ!」とか言って解放された。美並ちゃんのは不潔で臭くって、口の中にも顔の周りにもニオイが沁みついた。ウガイして顔を洗っていたら「てめー」って、ビンタされた。
それからは佐竹先生が宿直の深夜、いつも目を瞑り死んだ気になって痛いのを我慢し、美並ちゃんのスカートの中に頭をいれて吐き気に耐えてお股を舐めている。
そう、ひまわり園に戻ったら、その生活が待っている。
施設ではホームステイ先のある子は、ない子に意地悪されることがある。私も帰れば、もっともっと酷い虐待が待っている。でも…と覚悟を固め、おばちゃんの車に乗った。
たった3日居ない間にホームは、様子が変わっていた。
深夜になっても宿直の佐竹先生は来なかった。
怖いもの見たさで、1階の宿直室の前に行った。中から微かな先生の息遣いと美並ちゃんの「痛い、痛い」という甘ったるい声が聞こえた。
…これって、虐待は終わったということ?…ホッとして力が抜けた。
でも気まぐれで、いつ、あの恐ろしい生活が戻ってくるか…怯える日が始まった。
何度かホームステイをしているうちに、小田中家のお嬢様と施設での怯える暮らしの落差に心が押しつぶされそうになって行った。…施設に戻りたくない、帰りたくない、ずっとここで暮らしたい。
夏休みは2週間の長期ステイがあった。予定の期間が迫り、帰る日が近づいて、耐え切れなくて「帰りたくない」と…
言葉にした途端、激しい思いが噴き出して、涙がボロボロ出てきて、おじちゃんとおばちゃんの前で泣いてしまった。
おばちゃんは背中を撫でながら「施設で何か嫌なことがあるの?」と聞いてくれた。
深夜、佐竹先生に襲われて痛い思いをしていたこと、美並ちゃんの不潔なアソコを無理やり舐めさせられたこと、小田中家のホームステイが始まってからは治まっているけど、いつまた始まるかと思うと恐ろしいこと、悪い夢を見ること、男の人に触れられると鳥肌が立ってしまうようになったことなど、正直に話した。
「私たちの養女になって一緒に暮らす?」とおばちゃんがそっと抱きしめてくれた。
「おじちゃんとおばちゃんの子になりたい。気に入ってもらえるように、何でもいうことを聞きます。ここに居させてください、絶対、ひまわり園に戻りたくないです」と…もう、立っていられない、おばちゃんに抱き留められても涙が止まらない。
おじちゃんはアイスティーを大きなコップで持ってきて、私に差し出した。
ガブガブと飲んで、涙が止まった。
おじちゃんの優しい声が…
「美澄ちゃんは知っていると思うが、養子縁組には家裁審判など手続きや時間もかかる。けど、養育里親の仕組みもある。まずは園長さんや児童相談所を通して養育里親制度を使って、明日からでもここで暮らせるように交渉する。」と言ってくれた。
「そうよね、まず、里子になって、それから、養女になるための、色々条件を整えなくてはならないから、そこは一緒に頑張りましょうね」とおばちゃんも言ってくれた。
「有難うございます。有難うございます。」とまた大泣きした。
「美澄ちゃん、養女でも、里子でも、鳥肌が出るほど男が怖くてはきちんと人とお付き合いできません。養女になってもいっぱい大変なこともあるの。虐待のトラウマなんか跳ね返す強い心を持てるようにならなくては…ウチに来た最初の日にお漏らししたでしょう、おじちゃんに抱っこされてお風呂場に行ったけど、美澄ちゃん鳥肌がたったり、ゾクッとしたりしていた?していなかったでしょ。大丈夫、一緒に頑張りましょうね」
私は、何度も頷いた。
「今、ケンちゃん(おばさんはおじさんを普段「ケンちゃん」と呼んでいる)に触れられると少しだけ鳥肌が立っているでしょう。私たち気づいていたのよ。まずケンちゃんに慣れることから始めようね」と言った。
「美澄ちゃんが触れられるのではなくて、美澄ちゃんからケンちゃんに触れてみるのは、どう?ダメ?やってみる?」
「今ですか?…やってみます」
「ケンちゃん、こっちに来て、手を出して。美澄ちゃんおじちゃんの手の甲に触れてみて」
私は、オズオズと人差し指でおじさんに触れた。ゾクッとしない。おじさんは素敵で、好きなのに、鳥肌が立ってしまって、悲しかったけれど、自分から触れるのなら大丈夫だと分かって、ホッとした。
「その調子、これから少しずつ慣れて行きましょうね」
おじさんの手のひら、肩、髪の毛、頬、そして肩たたきもできた。おじさんは本当に嬉しそうだった。
私たちの意思確認に園長先生が来てくれた。ホームにある私物は宅配便で届けられた。
一度もひまわり園に戻ることなく里子になることができた。その日から、お父様、お母様と呼び、私はスミちゃんと呼ばれることになった。
近所の中学校で校長先生と面接し、夏休み明けから転校できた。
小田中家は中学生でも知っているほど有名らしく、学校で虐められることも、近づいてくる子もなかった。友達はできなかったけど、色々と詮索されたくなかったので、それはそれで良かった。
だけど里子には年齢制限がある。嬉しかったけれど、18歳になったら、私はこの家を出なくてはならない。独りぼっちになってしまう。
養女にならなくては…養女になれば期限付きの家族でなく、ズーっとお父様とお母様と暮らせる。本当の家族のように、それに、二人が亡くなった後はこのお屋敷や財産は全部私のものになるのだ。
私には養女になるしか道はない。でも、何をしたらよいのか お母様に尋ねた…
「私も、私の母も、祖母も東栄学園の卒園生で、今、私は学園の役員なの。だから、まず、東栄の高等部に入学してほしい。これは譲れない。
それから、ウチは代々女系家族。外から婿養子をもらって繋いできている。ケンちゃんにも養子になってもらったのよ。あなたも小田中家の女になるのなら、家の切り盛り、財産の運用管理もできる女に、それから、赤ちゃん欲しい。小田中の跡取り、できれば女の子。
私は、子どもができない。それが分かった時は真っ暗な気持ちだった。ケンちゃんが外に女を作っても仕方ないと覚悟した。けど、ケンちゃんはそんなことしなかった。私に代わって、スミちゃんの子どもが欲しい、小田中にふさわしい子がほしい。私たちも一緒に育てるから、この家の引き継いて欲しいの。
でもね、当面は、あなたがトラウマを自力で跳ね返す心の強さを養ってほしい。すべてはそれからよね。」
その夜は、ベッドに入ってもなかなか寝付かれなかった。高等部受験は、やってみなくては分からないけど、勉強は好きだし、やるしかない。けど、お母様に代わって赤ちゃんを産むこと…お父様に触れてトラウマを跳ね返すって…お父様にお股を痛くされても、平気になって、妊娠して、赤ちゃんを産むってこと? でも、それって、考えようでは、私に血のつながった本当の家族ができるってことでもある!
父様とお母様の部屋と私の部屋はドア1つでつながっている。
私のX-Day…
あのドアが開くとき「この時をお待ちしていました」とお父様にはっきり言えるように、触れられても鳥肌が立たないように。そういえば、いつの間にか夜尿症はどこかに行ってしまったし…ぐるぐる、同じことを繰り返し考えていたら、いつの間にか寝てしまった。
私のX-Dayはなかなか来なかった。私の勘違いかしら…
ある晩、我慢できなくなった私は、隣室に続くドアに耳を付けて様子を伺ってみた。
お母様の甘い声が聞こえている。夫婦の睦ごとが始まっている。
私はベッドに戻って枕を抱え、またドアの前に立って、小さくドアを開けた。
お母様の「ぁッ、イク、イク!」という声がして、そして静かになった。
「終わった」
私は元気に、努めて明るく、でも小さな声で「仲間にイーれーて♬~」と言いながらドアを開いた。
なんと、お母様がお父様に跨っているではないか! 夫婦の営みはまだ続いていたのだ。
ビックリして動けなくなった。
お母様は前後に腰を振りながらもにこやかに「いらっしゃい」と言った「ベッドの空いている所に座って、少し待っていて…あなた、美澄ちゃんが来てくれました。」と、お父様も私を見ながら頷く。
ベッドの端で眺めていると、お母様は激しく腰を動かしはじめ「アア、アッ、イイ、イク」と言って覘けった。お父様は素早く抱き留め、そのままお母様の上になり、パンパンと激しい音がして、アッとかウッとか呻いた。ゆっくり肉棒を抜いた。濡れていて、光っていて、お風呂で見たより大きい。
…お母様は痛くはないみたい、見つめ合って、ギューっとして、二人とも幸せそう。
私に向かって「いらっしゃい」とお母様の手が伸びた、汗ばんでひんやりした腕にからめとられキスをした。お母様の舌が入ってきた。初めて! 体が熱くなった。
「美並ちゃんにしたように、私を舐めて」と言った。
汗ばんだ繁みは臭くなかった。むしろ良い匂い、クリームチーズみたいな味がして美味しい。夢中で舐めていると、お父様が後ろからゆっくりとお股の中に入ってきた。
鳥肌は立たなかった。はじめ少し痛かったけど、ゆっくりと入って、ゆっくり出ていって、だんだん気持ちよくなって…
朝、目覚めるとお母様が私のお股を撫でていた。
「昨夜はどう、気持ちよかったみたいね、すごく大きな声を出して、私もケンちゃんも興奮したわ。少しはトラウマの置き換えができたかしら、あなたが、本当に私たちを気に入ってくれているか、ずーっと心配だった。でも、昨日、「仲間にイーれーて」って…自分から部屋に来てくれた…あら、また濡れてきている。若いってすごい」と言って私の中に一本,二本と指を入れてきた。
「気持ちいい?ケンちゃんは仕事で朝早く出て行ったから、今は私があなたを独占」
私の敏感な所を刺激しながら、ゆっくり乳首を舐め、お臍から、割れ目に舌を這わせてチュル、チュルって音を立てて体液を啜る。気持ちよすぎて震えが止まらなくなって、股が大きく開く。
幸せで涙があふれてきた。
「スミちゃん、あなたのここ、きれい。あなたのここを使って、彼の子を産んでほしいの。そして一緒に育てましょう、…ううん、今すぐ答えてとは言わない。考えてほしい。子どもが生まれても、もしも好きな男が現れて、その男と一緒になりたいなら、養子縁組は解消してあげる。あなたの気持ちを大切にするから…考えておいてね。」
「お母様、私も舐めたい。いい匂いで美味しい」
私と母はお互いの秘部を舐め合った。母の陰部に顔を埋めて舌を這わしていると美並ちゃんとの悪夢の影がどんどん薄れて行くような気がした。不快な過去とは全く別の世界に私は踏み出せたと思った。
東栄の編入試験に向けた猛勉強が始まった。編入試験を経験している家庭教師も付けてもらった。お母様はお夜食を作ってくれた。
根を詰めて頭がボーッとしたり、気分転換がしたくなったら「仲間にイーれーて」と言ってお父様とお母様のところに押しかけて、30分くらい気持ちよいことをするとすっきり、猛然とやる気がわいてくるのだった。
編入試験は筆記試験と面接。家庭教師の先生が絶対合格できるって言ってくれたけど、3人の枠に10人受験したので緊張した。合格発表の日、私の受験番号、あった!お母様と掲示板の前で抱き合ってピョンピョンしちゃった。
キャメルカラーのブレザー、金のボタン、ブーゲンビリヤを意匠化したエンブレム、深紅のベレー帽。着こなしが難しい制服。お母様に色々とアドバイスしてもらった。
学園では茶道部に入った。勉強もトップクラスをキープできた。ご両親を喜ばせることができた。
友達は作れないし、作ろうとも思わない。中等部からの交友関係に割り込むことは難しかったし、私のプライバシーに触れられたくもなかった。
早く帰って加奈子さんの調理を手伝い学ぶこと。勉強や読書をしながら父母の帰りを待つこと。お帰りなさいのキス、一家団欒の食事、皆でお風呂で洗いっこ。睦みあい、ふれあうこと…
本当の家族は、少し違うかもしれない。
けど確かなことは、もう私は独りぼっちじゃないこと。