小田中邸の をんなあるじ その2

今日も席に座ると亜沙子がやってきて「スミちゃん、おはよう!」としゃがみ込んで、私のスカートの辺りをクンクンしている。慣れてきたし、確かにウンザリだが、大ごとにはしたくないので無視。
「うーん、男の臭いのほかにスミちゃんのパンツからいい匂い、グリーン系の香水?…たまらん」と何と! 私のスカートに顔をうずめた。
「いい加減にしなさいよ、美澄さんが恥ずかしがっているでしょ。朝からレズってるんじゃねぇよ!」委員長が腕組みして亜沙子をにらみつける。
小さな声で「ヤバ!」と言って慌てて席に戻って行った。
クラス替えで、ようやく亜沙子とお別れできると思ったのに、同じ特進クラスとは…
結局3年間同じクラスでお付き合い…笑顔で明るい奴なのだが、友達ができないのはエロさ全開・無自覚のせい。かわいそうな奴だ。

スカートの周りを嗅ぎまわるお友達のこと、昨日、お母様に話したら、私の繁みに香水を一滴落としてくれた。
始め強い匂だとおもったけど、登校中に落ち着いてきて、気にならなくなっていた。
亜沙子の臭覚は鋭い。お父様の男の臭い、香水の匂い…本当に嗅ぎ分けられているかも…将来は調香師か…
レズだ! 仲良くしたなら、自分もそっち系と見做される?…クラスの皆さん間違いです。
本当の彼女はブラコン。弟に欲情している…行動が天然だから誤解されて、誰からも相手にされていない。

私は今、小田中家で里子として暮らし、小田中を称している、本名は吉川だ。
前は児童養護施設「ひまわり園」で暮らしていた。3歳で保護された。
母と思しき女性の横で泣いていた。彼女は心筋梗塞で死後半日ほどたっていたという。その女性と一緒の写真は3枚残っている。
父親はわからない。シングルマザーだったのか?

里子は18歳まで、18歳になったら自立する仕組み。この家を出なくてはならない。
養女になれれば、18歳を過ぎても本当の家族のように暮らして行ける…養女になりたい。

養女になることを目指して、お父様、お母様の望み
東栄学園に入学し、特進コースに入れる成績をキープ
三人で睦みあう毎日は、今では私の元気のもとになっている。
だが…
里子という暮らしに慣れてみると
どうもおかしいと思うことがある。
大邸宅に住んで、様々な事業を経営し、社を祀るお山を持ち、駅周辺にマンションやビルもある大金持ちが
わざわざ身寄りがなく、貧しく、施設で暮らしていた私を養女にしたい理由。
たくさん候補者がいたはずでは?

おかしい…
なぜ私なの?
おかしすぎる。
何か、裏があるに違いない…
不安が心に広がると、胸が苦しくなってくる。

そんなある日、市立図書館で手に取った女性週刊誌の見出し。
『性に溺れ、セックス・スレーブになる女たち』
パラパラとページをめくって…あっ、これつて私のこと?!
そうか!
お父様もお母様も私を性の玩具、性奴隷として、快楽を貪るために、あの家に引き取ったのだ。
そう考えると納得がいく。最初の出会いだって、何か不自然。

でも…お父様とお母様の奴隷になったお陰で、施設の、あの無間地獄から救われた。
鳥肌が立つ深夜の部屋の空気の揺れ、先生の手が触れる恐怖、舌や鼻腔に広がる不快な臭い、お股を貫く痛み、美並から敵意に満ちた目…それでも笑顔を作って暮らす屈辱。
孤独の闇…体に染みこんで、体が反応してしまう、忌まわしくも拭い去ることのできない身体の記憶。

お父様とお母様のおかげ
今、同じ行為が、痺れるような快感、絡み合う体から醸し出される香気、慈しみの眼差し、求め求められ応えあう喜びの日々に置き換わった。嫌悪が愛おしさとなって、沁み込んでくる。
日々、五感を通じて新しい悦びが記憶されている。言葉にできない体の記憶が悪い夢を遠ざけて、私を守ってくれている。

学校での生活もご両親に愛された残滓が私の女を満たして、心安らかでいられる。
お屋敷でも、加奈子さんが用意する美味しい食事、広すぎると感じていた赤いカーペットの部屋、少し硬めのベッドにも慣れ、大きな机、大きな書棚、ウォークイン・クロゼットやアクセサリーケースにはまだまだ余裕がある。でも今は、自室のベッドてはなく、お父様とお母様のベッドで一緒に寝ている。その方が心地よいのだ。上品な挨拶、会話、マナー、きめ細やかな心配り、淫らで温かい肌のふれあい…
これが性奴隷というなら、喜んでご主人様に仕え、弄ばれ続けたい。ご主人様の子を孕み、産み育てる…なんて幸せなことか。

お二人に選ばれたことを私の誇りとしよう。
お二人に欠かすことのできない女奴隷。お二人が自慢し、見せびらかしたくなる女奴隷に…余計なことは考えず…そう決心したのだった。       その日は1階の広いリビングで、いくつもの書類にお父様とお母様、私がサインし、弁護士が確認。市役所への申請、児童相談所やひまわり園と取り交わしを行った。私は、緊張しながらも…とうとう、養女になれた!とこみ上げるものがあった。
書類作成の後、加奈子さんがお茶とケーキを大きなワゴンで運んできた…こんな大きなワゴンがあるなんて初めて見た。
この大きすぎる家、広すぎる庭、そこを流れる光、空気、そして匂いも、お二人との交情の後景として私の身体的記憶を育んで、施設での悪夢を後景に追いやってくれている。
この家には鍵がかかったままの開かずの部屋がある。養子として、まだ知らない小田中の扉をご両親が一つ一つ開けてくれる日をゆっくりと待とう。

園長先生や福祉司さん、弁護士先生を前に、お母様は私を理想の養女だ、美人で素直で頑張り屋さんだ。学校では進路指導の先生から特進コースを提案された。特進は医科歯科系大学進学を目指すコースで、内部進学しか考えてなかったから驚いた。それなのに美澄は顔色も変えず「はい」って頷いたなどなど、私の顔が赤くなるほど褒めちぎった。

お父様は「大きな家で二人きりのさびしい生活だったけど美澄ちゃんが来てくれてとても明るくなった。美澄には何度も話していますが、この家は洋館の前庭園や和庭園も含めて、文化財の指定を受けているので、勝手に直すことができない窮屈な家です。維持費も大きい負担だが、行政は口は出すがカネは出さない。そのうえ税金はしっかりとる。
養女になるからには、将来、この家と山林や他の資産の管理ができるようになって、それから妻に代わって、大勢の子どもたちの賑やかな声が家の中に響く日を実現して欲しいと期待しています」と言った。
私はこの日の朝、初めてお父様の子種を受け入れていた、その時の感触が蘇り、下腹部が熱くなって、恥ずかしくて、また顔が赤くなった。

受験問題集に疲れて、医学雑誌を取り出していた時、1階で物が落ちる音とお母様の怒鳴り声がした。お母様の怒鳴る声、初めて聞いた。驚いて立ち上がったところ男がいきなり部屋に入ってきた。
この泥棒!と怒鳴り、今すぐ出ていけ!養子を解消しろ!と叫び、呆然と立ち尽くす私を、押し倒した。
その表情に佐竹先生が蘇り、鳥肌が立った。買ってもらったばかりのブラウスのボタンが飛び、思わず「ギャー」と悲鳴を上げると、急に男の力が抜けて私に覆いかぶさった。
お母様が唇から血が垂らし、左目にも血がにじんみ、頬が腫れ、手には花瓶を握って立っていた。
どこにあったのか、お母様が結束バンドを使って手早く男の手足を縛り、口にはこれも買ってもらったばかりの私のハンカチーフを何枚も詰め込んだ。
スマホを取り出し「あっ、坂口君。今強盗が入ったの、とりあえず取り押さえているからすぐ来て、警備会社も来てくれると思うけど私も娘もケガしてる・・・」
警備会社のガードマンと警官(坂口君=副署長)はほぼ同時に到着し、男は坂口君とその部下に連行された。
この男、小和田俊一さん、お母様の従兄の子だった。

この男は小和田家が養女を迎えたとニューヨークで伝え聞き、怒り激しく飛行機に飛び乗り、お父様の留守を狙って侵入したのだった。
私のせいで小和田俊一さんの相続権が無くなった。
俊一さんは小和田家の唯一の相続人だった。両親の遺産でニューヨークやパリ、東京と気ままに遊んで暮らしていた。しかし、お金も底をついてきて「どうせ俺のモノになるのだ、今から生活費を送ってくれ、財産を切り売りして資金援助してほしい」などと要求してきた。
デカい屋敷なんか面倒だからぶっ壊して、更地にして売り払えとか、貸しビルの家賃を小遣に回してくれ、株の一部でも生前贈与して配当金をよこせなどと要求をエスカレートさせていた。
私を養女に迎えた理由のひとつは、俊一さんの存在だったのか…「性奴隷」は私の考えすぎだったかも…

深夜、お父様が出張先から駆け付けた。
包帯だらけのお顔のお母様と私、二人一度にお父様の胸に飛び込んだからお父様はしりもちをついて、三人共思わず笑ってしまった。深刻な雰囲気が一気に崩れ、改めてギュってして、軽くチュッして、それからお茶の支度を始めた。
可哀そうに、お母様は口が切れ、顔が腫れてチュッができない。それでもソファーに座り、お父様に体を預けてことの顛末を報告している。
お父様に熱いコーヒー、お母様には冷たいコーヒー、ストロー付き…スミちゃん気が利くようになったねと母。
話し終えるとお母様はお父様の首に手を回し、キスをした。
「痛くない?」「痛いけど、スミちゃんだけってずるい」と言ってまたキス。包帯顔で…
お父様から明日は大切な話があるから、早く学校から戻るようにと言われ、早々に就寝。

三人でベッドに入ると一分もせず、お父様は軽いいびきをかいて寝てしまった。
「よほど、お疲れのようね」と母は笑い。「さあ、私たちも、今日は大人しく寝ましょうね」とおっしゃった。
目を瞑った…寝入りばな、突然、佐竹先生に初めて襲われた、あの顔!…キャーといって跳ね起きた。
お母様は「どうしたの、大丈夫よ」と抱きしめて、頭を撫で「可愛い、可愛い」と言ってくれた。
お母様の乳房を探してチュッ、チュッと吸ってから口にくわえ、母様の匂いに包まれると、怯えの心が消えてそのまま寝入ってしまった。

学校から帰宅するとまだ父も母も帰っていなかった。加奈子さんは夕食の準備に取り掛かっていた。自室に荷物を置いて廊下に出るとサンルームの先にある部屋のドアが開いているのが見えた。
その部屋はお父様とお母様の寝室より広かった。写真で見るベルサイユ宮殿の一室みたい、二間続き。家具には白い布が掛けてあり、森さん夫婦が掃除をしていた。

「お帰りなさい、お嬢様」と笑顔。
「初めて、中を見ました」と私
「ご存じなかったか…ここは「柏木の間」と言って柏木家など特別なお客様のために用意された部屋ですよ。もうすぐ掃除を終えますので、すこしお待ちください」と言われた。
私は、加奈子さんのところに行き、台所を手伝いながら「柏木の間」を知っているかと尋ねた。
「よく覚えていないけど、柏木さんってここのお殿様のご子孫の方達ですよね。ずっーと以前、お立ち寄りになった時、昇降機を使ってお食事を届けたことがありますよ」
「えっ、この家に昇降機があったんですか!」
「今でもありますよ。階段の近くの姿見がスライドドアで…奥に…知りませんでしたか?」
私は絶句した。私は今まで何を見ていたのかしら。

その時、丁度、お父様とお母様が帰っていらした。
「遅くなったね、さあ二階で大事な話をするから、そちらに行こう」と言われた。
まだ、掃除が済んでいないという森さん夫妻を遠ざけてお父様は話し始めた。

「確証はなかったから、今まで話さなかったが、スミちゃんの実のお母さん、吉川雅美さんは、東栄の卒業生だった。卒業名簿に同名の人が載っていた。
実は、スミちゃんに会う2年前くらいから彼女の消息を調べていた。その中でスミちゃんにたどり着いた。スミちゃんの父親は柏木葵と言って、僕の友人だ。私たちのキューピッドなんだ。」

ショックだった。私たちの出会いは偶然ではなかった。その上実母と実父のことまでお父様は調べていらした…

「葵は雑誌記者をしていてね。海外の紛争地帯に取材に行くと連絡があって、そのとき婚約したので帰ったら紹介したい。親からは猛烈に反対されているから相談に乗ってほしいと、メールがあった。それっきり現地で行方不明になって、いまも消息が掴めない。婚約者の名前も知らなかったので連絡の取りようもなかった。」
お父様はコーヒーに口を付け、一呼吸おいた。
「その少し前、お母様が子どもを産めない体だと、例の俊一君に伝えたことがあった。真面目な子と思っていたが両親が他界してからは定職に就かず遊んで暮らしていたんだ。私たちの不幸を知って、彼はなんと「ラッキー」と笑った。私たちの面前で…金をせびるし、嘘をつく、良からぬ仲間と付き合うなど、とても当家の行く末を任せられないと判断して、では、どうしようか、色々と話し合っていると突然、お母様がねぇ「いっそ柏木様にお返ししよう」と言い出した。柏木家はこの地の大名家だが、維新の混乱期に破産状態になった。その時、藩の所領の1/3と政庁舎、御殿そして家宝を計1万両で譲り受けた。一介の出入り商人だった小和田家が大地主となったのだ。
お殿様は当家に多額の借金をしていたが、それにしても困っている殿様の足元を見て買い叩いたと、曽御婆様も話していたそうだ。柏木家は没落していったが、この部屋は柏木の殿様が来た時のために用意したものだ。わたしも葵君に連れてこられて、この部屋でお母様と出会い、惚れた弱みで養子になった。思い出の部屋だ。
お返しするのなら柏木葵だ。しかし行方不明だ。だが婚約者がいたはずと行方を捜した。葵は柏木本家とは勘当同然だったのだが、家督を継いだご長男の方から話を聞くことができた。婚約者は秋田にあった旧柏木藩の飛び地から行儀見習いに来ていた吉川雅美さん、東栄女学園に在籍していた。これでぴったりと符合した。

ご長男の話では、当時、葵には取引先からの縁談があった。しかし、葵は彼女の卒業を待って結婚したいと言った。ご両親は飼い犬に手を噛まれた、息子を誑し込んだと雅美さんに激怒。田舎へ追い返した。葵は家族と喧嘩して彼女引き戻し、とりあえず安アパートで同棲を始めたらしい。そこから学園に通学し、卒業時には妊娠していた。それが美澄、君だ。
葵は東南アジアの紛争地域に2週間の予定で出かけた。しかし、彼は戻ってこない。柏木家に連絡しても拒絶。後見人だった叔父も、柏木家の激しい怒りに恐れをなしたのか支援を拒否した。高校を卒業したばかりの身重の彼女は、児童相談所や社協に相談する知恵はなく、もし転居したら帰ってきた葵が困るからと、安アパートで一人で子どもを産み、育てながら帰りを待ったようだ。乳飲み子を抱えながらアルバイト仕事で食いつないでいたが、心身ともに疲れてしまい亡くなった。」

「だが、おかしいことだらけだ。実は昨日、秋田で関係者に取材していた。吉川雅美さんのご両親は森林組合に勤めていて、組合の車に同乗し下山中、雪崩に巻き込まれて死んだという。ご両親の死亡保険金、勤めていた組合の団体生命保険など多額のお金が雅美さんに残ったはず。それがあれば十分に暮らしていけるが…どこに消えたのか…警察副署長の坂口君の口利きで、地元の警察官にも立ち会ってもらった。その結果、少なくとも1億円はあったはずの遺産を柏木本家やお母さんの後見人などが横領していたことが分かった。
後見人だった森林組合長は遺産を流用した悪事を周りに知られ、苦し紛れに元殿様に預かってもらいたいと頼み込んだ。柏木家が結婚に反対した本当の理由も秋田から月20万の仕送りがあり、国から里親委託費用9万円、それに扶養家族控除などあったが、表向き元藩士の哀れな孤児を救って、しかも私立中高一貫校に通わせてあげていると見栄を張って、雅美さんにもそう思い込ませた。実態は下女。児童労働・虐待だ。葵は家名にかけて雅美さんを救い出したい。…柏木家はご長男も含め全員が葵と雅美さんを恐れたのだ。」

お母様が口をはさんだ。
「あなたを探して居所を掴んで、ひまわり園の創設記念日に出かけた。けど、あの時はスミちゃんが葵の子供という確証はなかったの。でもね、あなたを見た瞬間、私たち、あなたに惹かれたの。これは本当よ。帰りの車で私たち、あなたが柏木葵の子でなかったとしても一緒に暮らそうって話した。そう決心した。でも、俊一さんの例もある。二人で、心を込めて、立派に育てようって…ホームステイが決まって一緒に過ごすようになって、あなたを誰にも渡したくないと強く思ったの、抱きしめていると気持ちがとろけそうになった。我慢できなくなって、どんどんエスカレートして、私の代わりにケンちゃんの赤ちゃんを産んでほしいとか、私たちでスミちゃんを独占したくって、ごめんなさい…」と泣いた。

お父様の話、唐突すぎて受け止めきれなかった。
加奈子さんが用意してくれた美味しいはずの夕食ものどを通らなかった。
1人にしてもらいたいと…
初めて1人で風呂に入った。久しぶりに自分の部屋で1人で寝た。
そして薄暗いうちに目が覚めた。
自分のベッドは寂しい。                         お母様とお父様と三人でベッドで睦合う。
体が触れる、舌が這う、汗、匂い、耳、そして声、音、ぬくもり、それら身体的な記憶が重なり安心できる私の居場所。三人が身を寄せ合うあのベッドが私のしとね。
自分のベッドは自分のベッドじゃない…そういえば…私、親を知らない孤児とか里親と里子とか、性奴隷とか…自分で作った言葉の檻に閉じ込もって狭いところしか見てこなかったかも。
お父様は忙しい中、調べてくれ、私の言葉の檻を壊したのだ、お母様だって、私に謝る必要なんてなかったのに…

日の出、庭に出た。
この庭を一人で散歩したことがあっただろうか?
こんなにきれいに手入れされて、名前の知らない花々が日に輝いている。
日本庭園には池もあった!鯉とは違うお魚が泳いでいる。築山に立つとお山がまぢか、山頂にある奥社の窓ガラスが光っている。
…美しい庭も洋館の白い壁も、お社も、森さん夫妻が手入れしている……私は今まで何を見ていたのか…

私は、性奴隷でも成功者トロフィーでもなかった。
ひまわり園の講堂で、一瞬目が合った、あの時、私はお父様とお母様が好きになってしまったのだ。お父様とお母様も同じ気持ちだった…分かり合うまでなんと長い月日がかかったか。しかし、その長い期間が、言葉の主知的・観念的な記憶からはトロトロと漏れ出してしまう膨大な身体の記憶を共有し、深く、私を導いてくれたのだ。
言葉は「神」ではない、言葉に支配されない。常に作られ、意味を取り替えられ、捨てられ続けて、変転し、とどまるところを知らない言葉…身体的記憶を捨象した型枠・記号…それって「空」なのだ…と誰かが言っていた。

築山の頂で、深呼吸した。
お二人の、いや三人の寝室に戻ろう。
「仲間にイーれーて ♬!」ってベッドに潜り込んで、お母様のおっぱいを吸ってやろう、ご機嫌よければお父様を刺激して子種もおねだりしよう。
子種がもらえたら
スカートの中に亜沙子の頭を入れて、挟んで、お父様の匂いを堪能させてやろう
あいつの言葉の檻から亜沙子を解放してやろう、楽になるか、発狂するのか
私の妄想はどんどん膨らんでゆく
まだ、お二人は寝ているはず。足が速くなる。