小田中邸の をんなあるじ その2

今日も席に座ると亜沙子がやってきて「スミちゃん、おはよう!」としゃがみ込んで、私のスカートの辺りをクンクンしている。慣れてきたし、確かにウンザリだが、大ごとにはしたくないので無視。
「うーん、男の臭いのほかにスミちゃんのパンツからいい匂い、グリーン系の香水?…たまらん」と何と! 私のスカートに顔をうずめた。
「いい加減にしなさいよ、美澄さんが恥ずかしがっているでしょ。朝からレズってるんじゃねぇよ!」委員長が腕組みして亜沙子をにらみつける。
小さな声で「ヤバ!」と言って慌てて席に戻って行った。
クラス替えで、ようやく亜沙子とお別れできると思ったのに、同じ特進クラスとは…
結局3年間同じクラスでお付き合い…笑顔で明るい奴なのだが、友達ができないのはエロさ全開・無自覚のせい。かわいそうな奴だ。

スカートの周りを嗅ぎまわるお友達のこと、昨日、お母様に話したら、私の繁みに香水を一滴落としてくれた。
始め強い匂だとおもったけど、登校中に落ち着いてきて、気にならなくなっていた。
亜沙子の臭覚は鋭い。お父様の男の臭い、香水の匂い…本当に嗅ぎ分けられているかも…将来は調香師か…
レズだ! 仲良くしたなら、自分もそっち系と見做される?…クラスの皆さん間違いです。
本当の彼女はブラコン。弟に欲情している…行動が天然だから誤解されて、誰からも相手にされていない。

私は今、小田中家で里子として暮らし、小田中を称している、本名は吉川だ。
前は児童養護施設「ひまわり園」で暮らしていた。3歳で保護された。
母と思しき女性の横で泣いていた。彼女は心筋梗塞で死後半日ほどたっていたという。その女性と一緒の写真は3枚残っている。
父親はわからない。シングルマザーだったのか?

里子は18歳まで、18歳になったら自立する仕組み。この家を出なくてはならない。
養女になれれば、18歳を過ぎても本当の家族のように暮らして行ける…養女になりたい。

養女になることを目指して、お父様、お母様の望み
東栄学園に入学し、特進コースに入れる成績をキープ
三人で睦みあう毎日は、今では私の元気のもとになっている。
だが…
里子という暮らしに慣れてみると
どうもおかしいと思うことがある。
大邸宅に住んで、様々な事業を経営し、社を祀るお山を持ち、駅周辺にマンションやビルもある大金持ちが
わざわざ身寄りがなく、貧しく、施設で暮らしていた私を養女にしたい理由。
たくさん候補者がいたはずでは?

おかしい…
なぜ私なの?
おかしすぎる。
何か、裏があるに違いない…
不安が心に広がると、胸が苦しくなってくる。

そんなある日、市立図書館で手に取った女性週刊誌の見出し。
『性に溺れ、セックス・スレーブになる女たち』
パラパラとページをめくって…あっ、これつて私のこと?!
そうか!
お父様もお母様も私を性の玩具、性奴隷として、快楽を貪るために、あの家に引き取ったのだ。
そう考えると納得がいく。最初の出会いだって、何か不自然。

でも…お父様とお母様の奴隷になったお陰で、施設の、あの無間地獄から救われた。
鳥肌が立つ深夜の部屋の空気の揺れ、先生の手が触れる恐怖、舌や鼻腔に広がる不快な臭い、お股を貫く痛み、美並から敵意に満ちた目…それでも笑顔を作って暮らす屈辱。
孤独の闇…体に染みこんで、体が反応してしまう、忌まわしくも拭い去ることのできない身体の記憶。

お父様とお母様のおかげ
今、同じ行為が、痺れるような快感、絡み合う体から醸し出される香気、慈しみの眼差し、求め求められ応えあう喜びの日々に置き換わった。嫌悪が愛おしさとなって、沁み込んでくる。
日々、五感を通じて新しい悦びが記憶されている。言葉にできない体の記憶が悪い夢を遠ざけて、私を守ってくれている。

学校での生活もご両親に愛された残滓が私の女を満たして、心安らかでいられる。
お屋敷でも、加奈子さんが用意する美味しい食事、広すぎると感じていた赤いカーペットの部屋、少し硬めのベッドにも慣れ、大きな机、大きな書棚、ウォークイン・クロゼットやアクセサリーケースにはまだまだ余裕がある。でも今は、自室のベッドてはなく、お父様とお母様のベッドで一緒に寝ている。その方が心地よいのだ。上品な挨拶、会話、マナー、きめ細やかな心配り、淫らで温かい肌のふれあい…
これが性奴隷というなら、喜んでご主人様に仕え、弄ばれ続けたい。ご主人様の子を孕み、産み育てる…なんて幸せなことか。

お二人に選ばれたことを私の誇りとしよう。
お二人に欠かすことのできない女奴隷。お二人が自慢し、見せびらかしたくなる女奴隷に…余計なことは考えず…そう決心したのだった。       その日は1階の広いリビングで、いくつもの書類にお父様とお母様、私がサインし、弁護士が確認。市役所への申請、児童相談所やひまわり園と取り交わしを行った。私は、緊張しながらも…とうとう、養女になれた!とこみ上げるものがあった。
書類作成の後、加奈子さんがお茶とケーキを大きなワゴンで運んできた…こんな大きなワゴンがあるなんて初めて見た。
この大きすぎる家、広すぎる庭、そこを流れる光、空気、そして匂いも、お二人との交情の後景として私の身体的記憶を育んで、施設での悪夢を後景に追いやってくれている。
この家には鍵がかかったままの開かずの部屋がある。養子として、まだ知らない小田中の扉をご両親が一つ一つ開けてくれる日をゆっくりと待とう。

園長先生や福祉司さん、弁護士先生を前に、お母様は私を理想の養女だ、美人で素直で頑張り屋さんだ。学校では進路指導の先生から特進コースを提案された。特進は医科歯科系大学進学を目指すコースで、内部進学しか考えてなかったから驚いた。それなのに美澄は顔色も変えず「はい」って頷いたなどなど、私の顔が赤くなるほど褒めちぎった。

お父様は「大きな家で二人きりのさびしい生活だったけど美澄ちゃんが来てくれてとても明るくなった。美澄には何度も話していますが、この家は洋館の前庭園や和庭園も含めて、文化財の指定を受けているので、勝手に直すことができない窮屈な家です。維持費も大きい負担だが、行政は口は出すがカネは出さない。そのうえ税金はしっかりとる。
養女になるからには、将来、この家と山林や他の資産の管理ができるようになって、それから妻に代わって、大勢の子どもたちの賑やかな声が家の中に響く日を実現して欲しいと期待しています」と言った。
私はこの日の朝、初めてお父様の子種を受け入れていた、その時の感触が蘇り、下腹部が熱くなって、恥ずかしくて、また顔が赤くなった。

受験問題集に疲れて、医学雑誌を取り出していた時、1階で物が落ちる音とお母様の怒鳴り声がした。お母様の怒鳴る声、初めて聞いた。驚いて立ち上がったところ男がいきなり部屋に入ってきた。
この泥棒!と怒鳴り、今すぐ出ていけ!養子を解消しろ!と叫び、呆然と立ち尽くす私を、押し倒した。
その表情に佐竹先生が蘇り、鳥肌が立った。買ってもらったばかりのブラウスのボタンが飛び、思わず「ギャー」と悲鳴を上げると、急に男の力が抜けて私に覆いかぶさった。
お母様が唇から血が垂らし、左目にも血がにじんみ、頬が腫れ、手には花瓶を握って立っていた。
どこにあったのか、お母様が結束バンドを使って手早く男の手足を縛り、口にはこれも買ってもらったばかりの私のハンカチーフを何枚も詰め込んだ。
スマホを取り出し「あっ、坂口君。今強盗が入ったの、とりあえず取り押さえているからすぐ来て、警備会社も来てくれると思うけど私も娘もケガしてる・・・」
警備会社のガードマンと警官(坂口君=副署長)はほぼ同時に到着し、男は坂口君とその部下に連行された。
この男、小和田俊一さん、お母様の従兄の子だった。

この男は小和田家が養女を迎えたとニューヨークで伝え聞き、怒り激しく飛行機に飛び乗り、お父様の留守を狙って侵入したのだった。
私のせいで小和田俊一さんの相続権が無くなった。
俊一さんは小和田家の唯一の相続人だった。両親の遺産でニューヨークやパリ、東京と気ままに遊んで暮らしていた。しかし、お金も底をついてきて「どうせ俺のモノになるのだ、今から生活費を送ってくれ、財産を切り売りして資金援助してほしい」などと要求してきた。
デカい屋敷なんか面倒だからぶっ壊して、更地にして売り払えとか、貸しビルの家賃を小遣に回してくれ、株の一部でも生前贈与して配当金をよこせなどと要求をエスカレートさせていた。
私を養女に迎えた理由のひとつは、俊一さんの存在だったのか…「性奴隷」は私の考えすぎだったかも…

深夜、お父様が出張先から駆け付けた。
包帯だらけのお顔のお母様と私、二人一度にお父様の胸に飛び込んだからお父様はしりもちをついて、三人共思わず笑ってしまった。深刻な雰囲気が一気に崩れ、改めてギュってして、軽くチュッして、それからお茶の支度を始めた。
可哀そうに、お母様は口が切れ、顔が腫れてチュッができない。それでもソファーに座り、お父様に体を預けてことの顛末を報告している。
お父様に熱いコーヒー、お母様には冷たいコーヒー、ストロー付き…スミちゃん気が利くようになったねと母。
話し終えるとお母様はお父様の首に手を回し、キスをした。
「痛くない?」「痛いけど、スミちゃんだけってずるい」と言ってまたキス。包帯顔で…
お父様から明日は大切な話があるから、早く学校から戻るようにと言われ、早々に就寝。

三人でベッドに入ると一分もせず、お父様は軽いいびきをかいて寝てしまった。
「よほど、お疲れのようね」と母は笑い。「さあ、私たちも、今日は大人しく寝ましょうね」とおっしゃった。
目を瞑った…寝入りばな、突然、佐竹先生に初めて襲われた、あの顔!…キャーといって跳ね起きた。
お母様は「どうしたの、大丈夫よ」と抱きしめて、頭を撫で「可愛い、可愛い」と言ってくれた。
お母様の乳房を探してチュッ、チュッと吸ってから口にくわえ、母様の匂いに包まれると、怯えの心が消えてそのまま寝入ってしまった。

学校から帰宅するとまだ父も母も帰っていなかった。加奈子さんは夕食の準備に取り掛かっていた。自室に荷物を置いて廊下に出るとサンルームの先にある部屋のドアが開いているのが見えた。
その部屋はお父様とお母様の寝室より広かった。写真で見るベルサイユ宮殿の一室みたい、二間続き。家具には白い布が掛けてあり、森さん夫婦が掃除をしていた。

「お帰りなさい、お嬢様」と笑顔。
「初めて、中を見ました」と私
「ご存じなかったか…ここは「柏木の間」と言って柏木家など特別なお客様のために用意された部屋ですよ。もうすぐ掃除を終えますので、すこしお待ちください」と言われた。
私は、加奈子さんのところに行き、台所を手伝いながら「柏木の間」を知っているかと尋ねた。
「よく覚えていないけど、柏木さんってここのお殿様のご子孫の方達ですよね。ずっーと以前、お立ち寄りになった時、昇降機を使ってお食事を届けたことがありますよ」
「えっ、この家に昇降機があったんですか!」
「今でもありますよ。階段の近くの姿見がスライドドアで…奥に…知りませんでしたか?」
私は絶句した。私は今まで何を見ていたのかしら。

その時、丁度、お父様とお母様が帰っていらした。
「遅くなったね、さあ二階で大事な話をするから、そちらに行こう」と言われた。
まだ、掃除が済んでいないという森さん夫妻を遠ざけてお父様は話し始めた。

「確証はなかったから、今まで話さなかったが、スミちゃんの実のお母さん、吉川雅美さんは、東栄の卒業生だった。卒業名簿に同名の人が載っていた。
実は、スミちゃんに会う2年前くらいから彼女の消息を調べていた。その中でスミちゃんにたどり着いた。スミちゃんの父親は柏木葵と言って、僕の友人だ。私たちのキューピッドなんだ。」

ショックだった。私たちの出会いは偶然ではなかった。その上実母と実父のことまでお父様は調べていらした…

「葵は雑誌記者をしていてね。海外の紛争地帯に取材に行くと連絡があって、そのとき婚約したので帰ったら紹介したい。親からは猛烈に反対されているから相談に乗ってほしいと、メールがあった。それっきり現地で行方不明になって、いまも消息が掴めない。婚約者の名前も知らなかったので連絡の取りようもなかった。」
お父様はコーヒーに口を付け、一呼吸おいた。
「その少し前、お母様が子どもを産めない体だと、例の俊一君に伝えたことがあった。真面目な子と思っていたが両親が他界してからは定職に就かず遊んで暮らしていたんだ。私たちの不幸を知って、彼はなんと「ラッキー」と笑った。私たちの面前で…金をせびるし、嘘をつく、良からぬ仲間と付き合うなど、とても当家の行く末を任せられないと判断して、では、どうしようか、色々と話し合っていると突然、お母様がねぇ「いっそ柏木様にお返ししよう」と言い出した。柏木家はこの地の大名家だが、維新の混乱期に破産状態になった。その時、藩の所領の1/3と政庁舎、御殿そして家宝を計1万両で譲り受けた。一介の出入り商人だった小和田家が大地主となったのだ。
お殿様は当家に多額の借金をしていたが、それにしても困っている殿様の足元を見て買い叩いたと、曽御婆様も話していたそうだ。柏木家は没落していったが、この部屋は柏木の殿様が来た時のために用意したものだ。わたしも葵君に連れてこられて、この部屋でお母様と出会い、惚れた弱みで養子になった。思い出の部屋だ。
お返しするのなら柏木葵だ。しかし行方不明だ。だが婚約者がいたはずと行方を捜した。葵は柏木本家とは勘当同然だったのだが、家督を継いだご長男の方から話を聞くことができた。婚約者は秋田にあった旧柏木藩の飛び地から行儀見習いに来ていた吉川雅美さん、東栄女学園に在籍していた。これでぴったりと符合した。

ご長男の話では、当時、葵には取引先からの縁談があった。しかし、葵は彼女の卒業を待って結婚したいと言った。ご両親は飼い犬に手を噛まれた、息子を誑し込んだと雅美さんに激怒。田舎へ追い返した。葵は家族と喧嘩して彼女引き戻し、とりあえず安アパートで同棲を始めたらしい。そこから学園に通学し、卒業時には妊娠していた。それが美澄、君だ。
葵は東南アジアの紛争地域に2週間の予定で出かけた。しかし、彼は戻ってこない。柏木家に連絡しても拒絶。後見人だった叔父も、柏木家の激しい怒りに恐れをなしたのか支援を拒否した。高校を卒業したばかりの身重の彼女は、児童相談所や社協に相談する知恵はなく、もし転居したら帰ってきた葵が困るからと、安アパートで一人で子どもを産み、育てながら帰りを待ったようだ。乳飲み子を抱えながらアルバイト仕事で食いつないでいたが、心身ともに疲れてしまい亡くなった。」

「だが、おかしいことだらけだ。実は昨日、秋田で関係者に取材していた。吉川雅美さんのご両親は森林組合に勤めていて、組合の車に同乗し下山中、雪崩に巻き込まれて死んだという。ご両親の死亡保険金、勤めていた組合の団体生命保険など多額のお金が雅美さんに残ったはず。それがあれば十分に暮らしていけるが…どこに消えたのか…警察副署長の坂口君の口利きで、地元の警察官にも立ち会ってもらった。その結果、少なくとも1億円はあったはずの遺産を柏木本家やお母さんの後見人などが横領していたことが分かった。
後見人だった森林組合長は遺産を流用した悪事を周りに知られ、苦し紛れに元殿様に預かってもらいたいと頼み込んだ。柏木家が結婚に反対した本当の理由も秋田から月20万の仕送りがあり、国から里親委託費用9万円、それに扶養家族控除などあったが、表向き元藩士の哀れな孤児を救って、しかも私立中高一貫校に通わせてあげていると見栄を張って、雅美さんにもそう思い込ませた。実態は下女。児童労働・虐待だ。葵は家名にかけて雅美さんを救い出したい。…柏木家はご長男も含め全員が葵と雅美さんを恐れたのだ。」

お母様が口をはさんだ。
「あなたを探して居所を掴んで、ひまわり園の創設記念日に出かけた。けど、あの時はスミちゃんが葵の子供という確証はなかったの。でもね、あなたを見た瞬間、私たち、あなたに惹かれたの。これは本当よ。帰りの車で私たち、あなたが柏木葵の子でなかったとしても一緒に暮らそうって話した。そう決心した。でも、俊一さんの例もある。二人で、心を込めて、立派に育てようって…ホームステイが決まって一緒に過ごすようになって、あなたを誰にも渡したくないと強く思ったの、抱きしめていると気持ちがとろけそうになった。我慢できなくなって、どんどんエスカレートして、私の代わりにケンちゃんの赤ちゃんを産んでほしいとか、私たちでスミちゃんを独占したくって、ごめんなさい…」と泣いた。

お父様の話、唐突すぎて受け止めきれなかった。
加奈子さんが用意してくれた美味しいはずの夕食ものどを通らなかった。
1人にしてもらいたいと…
初めて1人で風呂に入った。久しぶりに自分の部屋で1人で寝た。
そして薄暗いうちに目が覚めた。
自分のベッドは寂しい。                         お母様とお父様と三人でベッドで睦合う。
体が触れる、舌が這う、汗、匂い、耳、そして声、音、ぬくもり、それら身体的な記憶が重なり安心できる私の居場所。三人が身を寄せ合うあのベッドが私のしとね。
自分のベッドは自分のベッドじゃない…そういえば…私、親を知らない孤児とか里親と里子とか、性奴隷とか…自分で作った言葉の檻に閉じ込もって狭いところしか見てこなかったかも。
お父様は忙しい中、調べてくれ、私の言葉の檻を壊したのだ、お母様だって、私に謝る必要なんてなかったのに…

日の出、庭に出た。
この庭を一人で散歩したことがあっただろうか?
こんなにきれいに手入れされて、名前の知らない花々が日に輝いている。
日本庭園には池もあった!鯉とは違うお魚が泳いでいる。築山に立つとお山がまぢか、山頂にある奥社の窓ガラスが光っている。
…美しい庭も洋館の白い壁も、お社も、森さん夫妻が手入れしている……私は今まで何を見ていたのか…

私は、性奴隷でも成功者トロフィーでもなかった。
ひまわり園の講堂で、一瞬目が合った、あの時、私はお父様とお母様が好きになってしまったのだ。お父様とお母様も同じ気持ちだった…分かり合うまでなんと長い月日がかかったか。しかし、その長い期間が、言葉の主知的・観念的な記憶からはトロトロと漏れ出してしまう膨大な身体の記憶を共有し、深く、私を導いてくれたのだ。
言葉は「神」ではない、言葉に支配されない。常に作られ、意味を取り替えられ、捨てられ続けて、変転し、とどまるところを知らない言葉…身体的記憶を捨象した型枠・記号…それって「空」なのだ…と誰かが言っていた。

築山の頂で、深呼吸した。
お二人の、いや三人の寝室に戻ろう。
「仲間にイーれーて ♬!」ってベッドに潜り込んで、お母様のおっぱいを吸ってやろう、ご機嫌よければお父様を刺激して子種もおねだりしよう。
子種がもらえたら
スカートの中に亜沙子の頭を入れて、挟んで、お父様の匂いを堪能させてやろう
あいつの言葉の檻から亜沙子を解放してやろう、楽になるか、発狂するのか
私の妄想はどんどん膨らんでゆく
まだ、お二人は寝ているはず。足が速くなる。

小田中邸の をんなあるじ その1

ホームステイで初めてその家を訪れた時
お家が古くて(クラッシックで)大きい。西洋のお城みたい。正門から玄関まで植込みの中、白い砂利を敷き詰めた道。玄関前がロータリーになって、円柱2本が2階庇のバルコニーを支えている。洋風と和風の2つの広い庭園とテニスコートが2面あった芝の広場…お庭も広い! 正門(長屋門というらしい)の脇部屋には森さんという老夫婦が住んでいて、建物や庭の手入れをしているとのことだった。
1階は広いロビーの左手に大小2つのリビング、おじちゃんとおばちゃんそれぞれの執務室、右手には会議室と晩餐室、ダイニングルーム、バスルーム、トイレが2か所あった。
2階は、ご夫妻の寝室とその隣が私の部屋。廊下を隔てて向かい側には扉が5つあった。バルコニーに続いてサンルームのような部屋、その先にも大きな扉がある。…で、こんな大きな家にご夫妻と住み込みの森さん夫婦だけで暮らして他の使用人はみんな通いだ。施設育ちの私には別世界だ。                               この家が、私のフレンドホームになってから4年。
今私は、養女として、暮らしている。

私は小田中美澄。以前は吉川美澄だつた。
私が通う東栄女学院は大学付属の中高一貫校。高等部は欠員が出た時だけ年末に募集する仕組みで、その編入試験に合格し、今は2年生。
お嬢様学校と言われているけど親が海外在住とか、東南アジアなどから留学生も多い。その人たちのため、キャンパスの隅に寄宿舎がある。本校生徒とどこかの皇太子様の出会いを記念したプリンセス館という古い洋館もあって、お客様の宿舎やゼミの合宿所として使われているらしい。あと植物園にあるような大きな温室があって熱帯植物がたくさんあるらしい。園芸部員や生物科学専攻の学生はここで育てたバナナを食べる特権があるという噂だ。
キャンパス入り口付近には付属の子ども園があって、教職員や学生の子供も預かってる。クラスメイトのフーちゃんも子どもを預けている。彼女の国では10代前半で子どもを産むのは普通の事らしい。フーちゃんとだけは親しく話ができる。私も、フーちゃんのように、ここに子どもを預けられる日が早く来たらいいなと思っている。

今日も、登校して席に着くや亜沙子が「スミちゃん、おはよう!」とにこやかに近づいてきた。しゃがみ込み、スカートの上で鼻をクンクンさせる。
「うーん、今朝もやってきたな、うらやましい。男の臭いがする。」と呟いて、私を見上げにっこりする。
「朝から妄想か、そんなに欲しいんなら、弟君とヤレ…」と言いかけたら、小さな声で「やめて…」と言って顔を赤らめ、席に戻って行った。
亜沙子は油断ならないやつだ。男の臭いがするというのは嘘だろうけど、いつもドキッとさせられる。勘が鋭い。
学園祭で大きな胸を弟の腕に押し付けて、頬をピンクに染めて見とれて歩いていたから、カマかけてやった。図星だ、ブラコンだ。追い払うには、弱点を突いてやればいいのだ。私に構わないでほしい。

今は小田中家の養女だが、それ以前は児童養護施設「ひまわり園」で暮らしていた。3歳で保護された。その時は死んだ母?の横で泣いていたそうだ。父や母のことは覚えていないが、母との写真が3枚残っている。母はシングルマザーだったのだろう。
園には8つのホームがあって、それぞれ6人暮らしている。私たちのひばりホームは女ばっかり、みんな仲良くて、中でも一番仲良しは美並ちゃん。私より一つ年上だけど、私が美並ちゃんに勉強を教え、美並ちゃんは悪ガキのいじめから私を守ってくれていた。いつも一緒。だからホームの先生たちから二人まとめて「ミミちゃん」と呼ばれていた。
勉強が好き、学習ボランティアの学生さんが来るのが楽しみ。図書委員になって学校でもホームでも本ばっかり読んでいた。
園長先生から社会に出ると学歴や資格は君が生きて行く武器になるよと励ましてくれた。書道や英語の検定などにも挑戦していた。

養家のご夫妻とは「ひまわり園創設記念日」恒例の子どもたちの合唱でステージに立った時、初めて見かけた。
上品な身なり、態度、おばさんのネックレスやイヤリングがキラッと光って、おじさんは高級そうなスーツを着て、福祉司の川口さんとにこやかに何か話していた。
ステージに立っていたら、そのおじさんとの目が合って、にっこりされて、ドッキリ、顔が火照り下を向いてしまった。
お金持ちで幸せそう、きっとこの二人に愛されて幸せな子どもたちがいるのだろう。どんな暮らしなのかしら、分からない。けど羨ましい。そんな一瞬の心の揺らぎをおじさんに見抜かれたように思えたのだ。私は親を知らない。

記念祭から1か月ほどして、児童相談所の福祉司、川口さんがきた。小田中夫妻からフレンドホームを提供したいと申し出があると言われた。フレンドホームとはホームステイ先のことだ。ホームステイや里子などは小さい子が選ばれることが多いのだ。私は一度も経験したことがなかった。それが中学生になって…なぜ?と考えないわけではなかった。
しかし、当時「ひまわり園」が辛くて、少しでも離れていたい私には願ってもない話だった。

面接に現れたのは記念祭のあのおじさんとおばさんだった。高級そうなものを身につけて、いい香りがした。
お姉さんたちのお下がりや寄付された古着の私は恥ずかしく、緊張してしまい何を話したのかも憶えていない。
最後に、川口さんが私に「小田中ご夫妻の印象はどうでしたか」と聞いてきた時、思わず「二人ともめっちゃカッコイイです」と答えてしまったことは覚えている。
私の秘密も話すべきか躊躇していると「夜尿症については、ご夫妻も快く受け入れ、ケアしてくれるとおっしゃっていますよ」と川口さん。      私、固まってしまった。

おばさんは「夫も私も子どもが大好きなのに、子どもの産めない体だと分かって苦しみました。私も40を過ぎ、夫も50歳近く、今更、乳児や幼児を迎えても、成人になるころ還暦を過ぎてしまう、体力に自信が持てません。いっそ10代の子が良いかなと話していて、そんな時、美澄さんを見て、その瞬間にアッこの子だと思いました。
美澄さんの下の子たちへの思いやりのある接し方。記念祭で拝見した書の迷いのない力強く美しい筆遣い、学校の成績はトップクラスで、IQ140。そして美しい。この出会いは奇跡だよねと夫とも申しています。まずはフレンドホームから始めて、美澄さんの意思を尊重しながら、叶うなら養女にと思っています。」
早速、ホームステイが始まった。
初めは月に一度、そのうち毎週、金曜日の夕方から日曜日の夕方まで大きな車で送迎してもらった。

小田中家の私の部屋は2階、隣はおじちゃんとおばちゃんの寝室で、廊下に出なくとも直接ドアで行き来ができる。
私の部屋、二十畳くらいある。最初は広くて落ち着かなかった。深紅のフカフカのカーペット、シャンデリア、本物のマントルピースの上には、おばちゃんのおばあちゃんの若い洋装の肖像画が掲げてある。アンティークな家具や椅子と大きな机、大きな姿見。大きい空っぽの書棚とウォークイン・クロゼット。ダブルベッドにはレースのカーテンが回されている。
用意されていたワンビースドレス、髪飾り、シルクのスベスベの肌着。
姿見に映った私、自分でもびっくりするくらい変身しちゃった。
「気に入ってくれた?サイズがピッタリで良かった」と優しく囁いてくれ、「はい!」って答えたら頬にキスされちゃった。…お姫様になった気分

初めて食べた、和牛ヒレステーキとコンソメスープ、そして楽しいおしゃべり。
私が学校で図書委員をしていることなどを話すとおじちゃんは色々と聞いてくれた。
初めてちゃんとお話しできて、カッコイイだけでなく優しい人と思った。
これって、一家団欒?
おばちゃんと洗いっこするお風呂、スベスベのシルクのパジャマ!
そして、おやすみなさい。
けど、広すぎる部屋、慣れない枕、固めのベッド…なかなか寝付けなくて…気づいたら真新しいパジャマもショーツもシーツまで濡らしてしまった。
初日から…失敗! 恥ずかしい、どうしよう、嫌われる。
フレンドホームはたった一日でお終いとシクシク泣いていると、隣の部屋から二人がきて、おじちゃんがお姫様抱っこでお風呂場まで運んでくれ、おばちゃんが体をきれいに洗ってくれた。
その夜は、私のベッドよりずっと大きなベッドにおばちゃんの良い匂いに包まれて寝た…これって「川の字」ってやつ?初めての経験。
土曜日はお買い物。本やドレスや肌着まで、どっさり買って、大きいリビングでファションショー!もちろんモデルは私!
父母に愛される暮らしって、こんなに楽しく、幸せなものなのだ!と思ってしまった。
日曜日、ひまわり園に帰る。小田中で身に着けていたものを全て脱いで、園から着てきたものに着替える。悲しかった。

実は、私には夜尿症のほかに、もう1つ誰にも言えない、もっと深刻な秘密があった。それは佐竹先生と美並ちゃんからの性的虐待…

先生が宿直する日の午前2時くらい、ドアが開いて廊下の空気とともに先生の臭いが流れてくる。鳥肌が立つ。目をつむって寝たふりをしているとパンツを剥ぎ取られ、お尻の下から痛いものをグイグイ差しこまれ、先生の体がブルブルってして、お腹に白い液体をまき散らされ…そのまま出て行く、それをティシュで拭きとり、パンツとパジャマを穿く、そして泣きながら寝付くのだ。

始まりは、中学生になったばかりの頃、夜中に失敗した下着やシーツを一階の洗濯機に入れ、風呂場でお股とお尻あたりをシャワーしていると、佐竹先生が風呂場をのぞき込んで「美澄か、お漏らししちゃったのか」と、
私が「うん」というと、そのまま宿直室に帰って行った。
部屋に戻って寝付きかけた時、先生がきて、私に覆いかぶさって「ちゃんと洗ったか、見せろ」と
「いゃ!」って抵抗したら低い声で「静かにしろ」
パンパン、頬を何度かぶたれた。怖くて抵抗をやめた。
お股から中にグリグリってものすごく痛いものが入ってきたので泣いた。そうしたら首を絞めて「泣くな、誰にも言うな」って、「言わない、言わない」っていうと出て行った。本当に死ぬかと思った。
朝起きたらシーツやパジャマが血で汚れていた。こっそり、洗濯した。

翌日から、仲良しだったはずの美並ちゃんが、私をにらみ、髪を引っ張り、カッターナイフを頬にピタピタしてきた。人気のないところに連れて行かれた。頭を押さえつけて、美並ちゃんのお股の割れ目を舐めるよう命令する。
抵抗しようとしたらナイフが首筋をたたく。怖くて必死で、一生懸命に舐める。
「ウン、ウン、あっイイ!」とか言って解放された。美並ちゃんのは不潔で臭くって、口の中にも顔の周りにもニオイが沁みついた。ウガイして顔を洗っていたら「てめー」って、ビンタされた。

それからは佐竹先生が宿直の深夜、いつも目を瞑り死んだ気になって痛いのを我慢し、美並ちゃんのスカートの中に頭をいれて吐き気に耐えてお股を舐めている。
そう、ひまわり園に戻ったら、その生活が待っている。
施設ではホームステイ先のある子は、ない子に意地悪されることがある。私も帰れば、もっともっと酷い虐待が待っている。でも…と覚悟を固め、おばちゃんの車に乗った。

たった3日居ない間にホームは、様子が変わっていた。
深夜になっても宿直の佐竹先生は来なかった。
怖いもの見たさで、1階の宿直室の前に行った。中から微かな先生の息遣いと美並ちゃんの「痛い、痛い」という甘ったるい声が聞こえた。
…これって、虐待は終わったということ?…ホッとして力が抜けた。
でも気まぐれで、いつ、あの恐ろしい生活が戻ってくるか…怯える日が始まった。

何度かホームステイをしているうちに、小田中家のお嬢様と施設での怯える暮らしの落差に心が押しつぶされそうになって行った。…施設に戻りたくない、帰りたくない、ずっとここで暮らしたい。

夏休みは2週間の長期ステイがあった。予定の期間が迫り、帰る日が近づいて、耐え切れなくて「帰りたくない」と…
言葉にした途端、激しい思いが噴き出して、涙がボロボロ出てきて、おじちゃんとおばちゃんの前で泣いてしまった。
おばちゃんは背中を撫でながら「施設で何か嫌なことがあるの?」と聞いてくれた。
深夜、佐竹先生に襲われて痛い思いをしていたこと、美並ちゃんの不潔なアソコを無理やり舐めさせられたこと、小田中家のホームステイが始まってからは治まっているけど、いつまた始まるかと思うと恐ろしいこと、悪い夢を見ること、男の人に触れられると鳥肌が立ってしまうようになったことなど、正直に話した。

「私たちの養女になって一緒に暮らす?」とおばちゃんがそっと抱きしめてくれた。
「おじちゃんとおばちゃんの子になりたい。気に入ってもらえるように、何でもいうことを聞きます。ここに居させてください、絶対、ひまわり園に戻りたくないです」と…もう、立っていられない、おばちゃんに抱き留められても涙が止まらない。
おじちゃんはアイスティーを大きなコップで持ってきて、私に差し出した。
ガブガブと飲んで、涙が止まった。
おじちゃんの優しい声が…
「美澄ちゃんは知っていると思うが、養子縁組には家裁審判など手続きや時間もかかる。けど、養育里親の仕組みもある。まずは園長さんや児童相談所を通して養育里親制度を使って、明日からでもここで暮らせるように交渉する。」と言ってくれた。
「そうよね、まず、里子になって、それから、養女になるための、色々条件を整えなくてはならないから、そこは一緒に頑張りましょうね」とおばちゃんも言ってくれた。
「有難うございます。有難うございます。」とまた大泣きした。
「美澄ちゃん、養女でも、里子でも、鳥肌が出るほど男が怖くてはきちんと人とお付き合いできません。養女になってもいっぱい大変なこともあるの。虐待のトラウマなんか跳ね返す強い心を持てるようにならなくては…ウチに来た最初の日にお漏らししたでしょう、おじちゃんに抱っこされてお風呂場に行ったけど、美澄ちゃん鳥肌がたったり、ゾクッとしたりしていた?していなかったでしょ。大丈夫、一緒に頑張りましょうね」
私は、何度も頷いた。
「今、ケンちゃん(おばさんはおじさんを普段「ケンちゃん」と呼んでいる)に触れられると少しだけ鳥肌が立っているでしょう。私たち気づいていたのよ。まずケンちゃんに慣れることから始めようね」と言った。
「美澄ちゃんが触れられるのではなくて、美澄ちゃんからケンちゃんに触れてみるのは、どう?ダメ?やってみる?」
「今ですか?…やってみます」
「ケンちゃん、こっちに来て、手を出して。美澄ちゃんおじちゃんの手の甲に触れてみて」
私は、オズオズと人差し指でおじさんに触れた。ゾクッとしない。おじさんは素敵で、好きなのに、鳥肌が立ってしまって、悲しかったけれど、自分から触れるのなら大丈夫だと分かって、ホッとした。
「その調子、これから少しずつ慣れて行きましょうね」
おじさんの手のひら、肩、髪の毛、頬、そして肩たたきもできた。おじさんは本当に嬉しそうだった。

私たちの意思確認に園長先生が来てくれた。ホームにある私物は宅配便で届けられた。
一度もひまわり園に戻ることなく里子になることができた。その日から、お父様、お母様と呼び、私はスミちゃんと呼ばれることになった。
近所の中学校で校長先生と面接し、夏休み明けから転校できた。
小田中家は中学生でも知っているほど有名らしく、学校で虐められることも、近づいてくる子もなかった。友達はできなかったけど、色々と詮索されたくなかったので、それはそれで良かった。

だけど里子には年齢制限がある。嬉しかったけれど、18歳になったら、私はこの家を出なくてはならない。独りぼっちになってしまう。
養女にならなくては…養女になれば期限付きの家族でなく、ズーっとお父様とお母様と暮らせる。本当の家族のように、それに、二人が亡くなった後はこのお屋敷や財産は全部私のものになるのだ。

私には養女になるしか道はない。でも、何をしたらよいのか        お母様に尋ねた…
「私も、私の母も、祖母も東栄学園の卒園生で、今、私は学園の役員なの。だから、まず、東栄の高等部に入学してほしい。これは譲れない。
それから、ウチは代々女系家族。外から婿養子をもらって繋いできている。ケンちゃんにも養子になってもらったのよ。あなたも小田中家の女になるのなら、家の切り盛り、財産の運用管理もできる女に、それから、赤ちゃん欲しい。小田中の跡取り、できれば女の子。
私は、子どもができない。それが分かった時は真っ暗な気持ちだった。ケンちゃんが外に女を作っても仕方ないと覚悟した。けど、ケンちゃんはそんなことしなかった。私に代わって、スミちゃんの子どもが欲しい、小田中にふさわしい子がほしい。私たちも一緒に育てるから、この家の引き継いて欲しいの。
でもね、当面は、あなたがトラウマを自力で跳ね返す心の強さを養ってほしい。すべてはそれからよね。」

その夜は、ベッドに入ってもなかなか寝付かれなかった。高等部受験は、やってみなくては分からないけど、勉強は好きだし、やるしかない。けど、お母様に代わって赤ちゃんを産むこと…お父様に触れてトラウマを跳ね返すって…お父様にお股を痛くされても、平気になって、妊娠して、赤ちゃんを産むってこと? でも、それって、考えようでは、私に血のつながった本当の家族ができるってことでもある!

父様とお母様の部屋と私の部屋はドア1つでつながっている。
私のX-Day…
あのドアが開くとき「この時をお待ちしていました」とお父様にはっきり言えるように、触れられても鳥肌が立たないように。そういえば、いつの間にか夜尿症はどこかに行ってしまったし…ぐるぐる、同じことを繰り返し考えていたら、いつの間にか寝てしまった。

私のX-Dayはなかなか来なかった。私の勘違いかしら…
ある晩、我慢できなくなった私は、隣室に続くドアに耳を付けて様子を伺ってみた。
お母様の甘い声が聞こえている。夫婦の睦ごとが始まっている。
私はベッドに戻って枕を抱え、またドアの前に立って、小さくドアを開けた。
お母様の「ぁッ、イク、イク!」という声がして、そして静かになった。
「終わった」
私は元気に、努めて明るく、でも小さな声で「仲間にイーれーて♬~」と言いながらドアを開いた。
なんと、お母様がお父様に跨っているではないか! 夫婦の営みはまだ続いていたのだ。
ビックリして動けなくなった。
お母様は前後に腰を振りながらもにこやかに「いらっしゃい」と言った「ベッドの空いている所に座って、少し待っていて…あなた、美澄ちゃんが来てくれました。」と、お父様も私を見ながら頷く。
ベッドの端で眺めていると、お母様は激しく腰を動かしはじめ「アア、アッ、イイ、イク」と言って覘けった。お父様は素早く抱き留め、そのままお母様の上になり、パンパンと激しい音がして、アッとかウッとか呻いた。ゆっくり肉棒を抜いた。濡れていて、光っていて、お風呂で見たより大きい。
…お母様は痛くはないみたい、見つめ合って、ギューっとして、二人とも幸せそう。

私に向かって「いらっしゃい」とお母様の手が伸びた、汗ばんでひんやりした腕にからめとられキスをした。お母様の舌が入ってきた。初めて! 体が熱くなった。
「美並ちゃんにしたように、私を舐めて」と言った。
汗ばんだ繁みは臭くなかった。むしろ良い匂い、クリームチーズみたいな味がして美味しい。夢中で舐めていると、お父様が後ろからゆっくりとお股の中に入ってきた。
鳥肌は立たなかった。はじめ少し痛かったけど、ゆっくりと入って、ゆっくり出ていって、だんだん気持ちよくなって…

朝、目覚めるとお母様が私のお股を撫でていた。
「昨夜はどう、気持ちよかったみたいね、すごく大きな声を出して、私もケンちゃんも興奮したわ。少しはトラウマの置き換えができたかしら、あなたが、本当に私たちを気に入ってくれているか、ずーっと心配だった。でも、昨日、「仲間にイーれーて」って…自分から部屋に来てくれた…あら、また濡れてきている。若いってすごい」と言って私の中に一本,二本と指を入れてきた。
「気持ちいい?ケンちゃんは仕事で朝早く出て行ったから、今は私があなたを独占」
私の敏感な所を刺激しながら、ゆっくり乳首を舐め、お臍から、割れ目に舌を這わせてチュル、チュルって音を立てて体液を啜る。気持ちよすぎて震えが止まらなくなって、股が大きく開く。
幸せで涙があふれてきた。

「スミちゃん、あなたのここ、きれい。あなたのここを使って、彼の子を産んでほしいの。そして一緒に育てましょう、…ううん、今すぐ答えてとは言わない。考えてほしい。子どもが生まれても、もしも好きな男が現れて、その男と一緒になりたいなら、養子縁組は解消してあげる。あなたの気持ちを大切にするから…考えておいてね。」
「お母様、私も舐めたい。いい匂いで美味しい」
私と母はお互いの秘部を舐め合った。母の陰部に顔を埋めて舌を這わしていると美並ちゃんとの悪夢の影がどんどん薄れて行くような気がした。不快な過去とは全く別の世界に私は踏み出せたと思った。

東栄の編入試験に向けた猛勉強が始まった。編入試験を経験している家庭教師も付けてもらった。お母様はお夜食を作ってくれた。
根を詰めて頭がボーッとしたり、気分転換がしたくなったら「仲間にイーれーて」と言ってお父様とお母様のところに押しかけて、30分くらい気持ちよいことをするとすっきり、猛然とやる気がわいてくるのだった。
編入試験は筆記試験と面接。家庭教師の先生が絶対合格できるって言ってくれたけど、3人の枠に10人受験したので緊張した。合格発表の日、私の受験番号、あった!お母様と掲示板の前で抱き合ってピョンピョンしちゃった。

キャメルカラーのブレザー、金のボタン、ブーゲンビリヤを意匠化したエンブレム、深紅のベレー帽。着こなしが難しい制服。お母様に色々とアドバイスしてもらった。
学園では茶道部に入った。勉強もトップクラスをキープできた。ご両親を喜ばせることができた。
友達は作れないし、作ろうとも思わない。中等部からの交友関係に割り込むことは難しかったし、私のプライバシーに触れられたくもなかった。
早く帰って加奈子さんの調理を手伝い学ぶこと。勉強や読書をしながら父母の帰りを待つこと。お帰りなさいのキス、一家団欒の食事、皆でお風呂で洗いっこ。睦みあい、ふれあうこと…
本当の家族は、少し違うかもしれない。
けど確かなことは、もう私は独りぼっちじゃないこと。