この本は、歴史学で軽視されてきた気候を柱にして日本の歴史を俯瞰している。そこが気に入って買った。特に干ばつや冷害を取りあげて政争・政変との関係、その時代の国やそれぞれの領主たちの工夫や努力、対策が次の時代形成にどのような影響をもたらしたのかなどに興味があった。
日本列島では2千年以上かけて気象変化への対応を重ねた。その結果、現代、干ばつの対策はほぼ出来上がったが冷害への対応は今でも難しいということが分った。地球温暖化は少なくとも日本にとっては大きな問題とは言えないようだ。
さて、
とても残念なのは本文7ページ「はじめに」において、日本の春・夏など季節表現は朝鮮半島由来であると書いてあることだ。
このトンでも学説はとっくに誤りであることが確認されているにもかかわらず、本書の巻頭に堂々と書いてあるため、本文の内容全般に「本当かいな?」という疑念が涌いてしまう。残念なことだ。
朝鮮半島の人たちが言う「古代語」は日本の平安時代以降の言葉に相当する。それ以前の朝鮮の口語は良く分からないのが実態。 だから、日本語(古語)から朝鮮語に転化したと論じえても、逆は議論不能なのだ。
大和言葉は万葉仮名として、読み方を含めて今に伝わっている。
一方、朝鮮半島では、1446年に「訓民正音」が作られるまで、自分たちの文字はなかった。残されている文章は全て漢字を使ったもので、それ以前に実際に朝鮮半島で話されていた言葉=口語については「漢字の当て字」がわずかに残っており、そこから推理したもので、本当のところは分っていない。しかもこの「訓民正音」も20世紀になって、日本の慶応大学などのグループが文法を整備し、新聞を発行するなど普及活動をするまで、殆ど埃をかぶっていた状態であった。この事実を、朝鮮半島の中では強く否定して自力で普及させたと主張する人もいるようだが「歴史的事実から目を背けている民族には未来はない」とどこかの元大統領も言っていた。
古代、半島では大陸から流れてきたいくつかの部族集団が暮らしていた。彼らがそれぞれ別々の言葉を使っていたと考える方が自然だ。半島の共通語らしきものができてきたのは日本の平安時代以降。朝鮮の歴史書『三国史記』が日本書紀に大幅に遅れて1145年に編纂されたのも、朝鮮の共通語が確立していなかったことと関係しているのかもしれない。
楽浪郡が置かれていり衛氏朝鮮があったころ、朝鮮半島の南部には海洋民の和(倭=チビ)人が住んでいて、狩猟民の濊(ワイ=ションベン臭い)人と交流と言うより混住していたと推測できる。倭=チビは海の幸、濊=ションベン臭いは山の幸を持ち寄り、仲良く取引したり交雑して暮らしていたことだろう。
そこでは、漢や倭・濊などの言葉が入り混じったクレオール語が使われていたのだろう。
好太王の碑文や漢書地理史や山海経など古代中国の文献や朝鮮の史書『三国史記』『三国遺事』を素直に読み、朝鮮半島南部にある日本列島から持ち込まれた前方後円墳などの遺跡や各種の遺物を見れば明白なのだ。学者が金儲けに目がくらんで、珍説を売り込んでいるうちにどんどん阿保になって訳が分からなくしてしまっただけの話だ。
今から20年位前、日本語の起源は百済語・朝鮮語であるといったトンデモ本が書店に並んでいた。
李 炳銑や伊藤高雄を無批判に引用するようでは、著者の歴史への基本的な素養が疑われる。
著書全体の内容がしっかり書き込まれているだけに、本当に惜しい。