無・空・ゼロ

 般若心経は各宗派が共通して使っている大乗仏教の基本経典(一部例外はある)です。 その大乗仏教は紀元前後に起こり,ヘレニズム文化の影響の中で発達し1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっています。 しかし、ヘレニズム文化の盛期や大乗仏教の成立は紀元1世紀なのに、『般若心経』の成立は2~3世紀だという説と7世紀ごろと言う説があり、どちらにせよ大乗仏教成立よりずーっと後です。小乗仏教へのアンチテーゼとして大乗仏教の教えがコンパクトにまとめられていたから普及したという解釈は後付け臭い、無理があると思います。
「大乗仏教が生まれた当時のインドは、ヘレニズム文化圏の東端にあたり、ギリシャ、イラン(ペルシャ)系の王朝が次々と支配し、その 文化の影響を受けていました。仏像が生まれたのはギリシャ彫刻の影響ですし、救いや光の性質を持ったたくさんの仏・菩薩が生まれたのはイランの神々の影響 です。 当時のヘレニズム文化圏では宗教を超えて霊的な「智慧の女神」に対する信仰が広がっていましたので、『般若心経』にもその影響があったかもしれませ ん。ギリシャの智慧の女神ソフィアの影響を受けて、イランでは河の女神アナーヒターが智慧の女神となりました。アナーヒターは観音菩薩の誕生にも影響を与 えたと言われています。」との説明が株式会社鎌倉新書のホームページの般若心経の解説に載っています。
  こうした捉え方が一般的なのでしょうが、CAMEは数学の影響も見逃せないと考えています。
  般若心経は空とか無と言った教えがその核心ですが、発想のルーツは0(ゼロ)の発見だとCAMEは思っています。
 そもそも、0(ゼロ)はバビロニア人の発明で紀元前4世紀くらいには計算する時にその桁が空位であることを示す記号だった。バビロニア人は六千五百と書くのではなく6500と書き記していた。計算するには0(ゼロ)で桁を埋める方法は便利で、今でも使われているわけ。
  そのバビロニアにアレクサンダー大王が現れ、西インドを侵略したのが紀元前327年。その時同行したバビロニア人を通じて0(ゼロ)がインドに伝わった。0(ゼロ)はインドで発達してイスラムに伝わり、長らく拒否を続けていたヨーロッパにも17世紀あたりから0(ゼロ)を受け入れていった。…この間の事情は「異端の数ゼロ」チャールズ・サイフェ/ハヤカワ・ノンフィクション文庫に…拠っている。
 0(ゼロ)にどんな数をかけても0(ゼロ)だ。どんな数を0(ゼロ)で割っても∞(無限)になってしまう。そう!色即是空 空即是色とはこの数学の基本を宗教哲学として取り入れたものだ。その結果、今日の物理学や素粒子理論や天文学等科学的知見とつながる普遍性を宿しているのだとCAMEは考えています。