日本仏教の顛倒夢想 その3 未来に向けた宗教への期待

「神は死んだ」

「神は死んだ」ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき (1883~1885年) 』の中で宣言をした。

全知全能の神なんかいない。最後の審判もないからそんなものに煩わされず、神に頼ることなく生きる意味なんぞ自力で肯定できるようになれ…ということだろう。これを彼は「超人」と表現しており「なんて大仰な、要は自力本願てことだろう」と突っ込みたくなるが、西欧社会の人々のキリスト教への依存がいかに根強く強固なものかを物語っているように思う。

彼の宣言は1927年にハイゼンベルクが不確定性原理、1987年にチャイティンが不完全性定理を証明し、1991年に宗教哲学者が「神は存在しない」ことを証明した。

しかし、欧米では多くの科学者が未だに神を信じている。彼らは神の不在を理解はしたのだろうが、納得はできていないように見える。

(ここでの「神」とは全知全能完全無欠の存在のことで、つまりゴッド、ヤハウェなどと呼ばれている存在のことであり、日本の八百万の神とは別物である。)

そのせいか、いまだに欧米の価値基準を世界に押し付けようとする性癖から抜けきらない。この世に絶対に正しいことなどない。すでに欧米の頭脳が証明しているにもかかわらず…

色即是空・空即是色 あるいは仏教の科学・数学との親和性

色即是空・空即是色とは仏教の基本的な教義であり、恒常な実体はなく縁起によって存在する、キリスト教の神についても、縁起の関係性の中での現象と見ている。目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。神なるものも関係性の中で成り立っているのであって、関係が変化すれば神も変化する。だから絶対神も空であり、仏教に絶対神は存在しない。

実は、量子力学にも 色即是空と同じようなことを表している公式がある。それが、特殊相対性理論の公式(E=m×cの2乗)。エネルギー = 質量× 光速 の2乗に等しい。質量とエネルギーが互換関係にあることを示している。それでもアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったそうだ。

私たちは物に触れたとき、目に見える、形もある、重さもある、掴んだりもできる。しかし、厳密にいえば私たちは“物に触れている”わけではなく、見えない磁力の力によって“掴んでいる”ような状態になっているのだ。

 実際に物質を構成する原子の構造を見ると、物質は99%以上が空白です。“スカスカ”で、「物」としてはほとんど何もない。何もないけど、質量がある。このことから分かるのは、人の思考や意識のエネルギーが、現実世界に物や現象を創り出すということだ。

量子力学によれば、全く何もない真空中でも常に極微のエネルギーのゆらぎ(ひも)が存在し、それがゆえに無からでも物質が生じるという。ただし、この場合の「無」とは「物質が無い」という意味で、その元となる「エネルギー」は存在している。

仏教で「空」と呼ぶものは、サンスクリット語でシューニアと言い、同時にゼロを示す言葉でもある。「空」と「0」の両義を表す語なのである。
  ゼロは 桁の空位を示すものとしての中東生まれたが「0の概念」はインドで育まれた。「空」を本質とする仏教がインドで起こったことは偶然ではなく「空」と「0」は思想でありかつ数概念なのだ。インドでは少なくとも12世紀までには1/0=∞ であることを知っていた。バラスカラという人が「多くを足しても引いても、何の変化もない。無限にして不変の神の中では何も起こらない」(「異端の数ゼロ」ハヤカワ・ノンフィクション文庫)と言ったらしい。

ゼロと無限はキリスト教世界で忌避された。認めてしまうと大地は宇宙の真ん中!かどうか定めようがなくなり、プラネタリウムのような宇宙観は瓦解してしまう。もともと聖書の記述に世界が半円ドーム型になっているなどとは書かれていないのに、アリストテレスの世界観を取り入れた結果だ。そのせいで善男善女を処刑したり投獄したり…

仏教もお釈迦さんから2500年その間、彼の教えと別系統の様々な思想や文化を取り込んできている。

色即是空=科学と仏教の親和性に自己満足することなく、未来に向けて、今一度原点を確認しようと言いたいのだ。

お釈迦さんはあの時代には超過激派だった。バラモンでもないのに修業を始めたり、女性や下層民を得度させたり、当時の常識ではとんでもない奴だった。凄いことをやったわけだ。だから、苫米地英人さんや佐々木閑さんのような仏教原理主義も良いだろう。しかしCAMEとしてはもう少し馴染みやすい教えがいいかなぁ~ お釈迦さんのやった 対機説法の復活がいいなぁ~

顛倒夢想 番外編

CAMEの先生である。都築治氏の文書「妄論に踊らされるミャンマーの若者」を先生の許可を得て「顛倒夢想」の番外編として掲載する。

この論文で先生が「妄論に踊らされる若者」と指摘していることに違和感を持つ日本人は多いように思う。

本年7月31日に日本経済新聞はは「今こそ暴力を終わらせ、民主主義への復帰を促す圧力を高める時だ」米国のデローレンティス国連次席大使は29日の国連安全保障理事会の会合で、ミャンマー国軍が同国の人道危機を悪化させていると非難した。一方で、経済制裁など今後の米国としての具体策についての言及は避けた」と報じている。

ミャンマーの若者が踊らされている、この「妄論」なるものについて先生の論文の後にCAMEなりの見解を示す。まさしく、平和ボケ、言葉ボケした日本人の顛倒夢想。

妄論に踊らされるミャンマーの若者

合同会社TCMミャンマー代表社員

中小企業診断士  都築  治

1 情報が少なくなっているミャンマー情勢

ミャンマーの情勢に関する報道が減っている。ユーチューバーによるミャンマーの映像を見る限り、現在のヤンゴン市内の状況はほぼ平常時の状態に戻っている。中華街やインド人街の露店の様子は人出で賑わっている。ショッピングモールが開いている。バスも走っている。工場も生産を進めている。しかし、各地の所どころでは、いまだに国軍と武装組織との衝突が止まない。

かつてネウィン時代、金融制度が破綻したことがあり、国民はそれを杞憂し預金を引き出してはタンス預金に走っている。そのため、現況では市中に紙幣が出回ることが少なく、進出した日本企業は賃金支払いや決済が困難な状況になっている。また、コロナウイルスの感染者が増大して来ている。これには国軍の政権奪取に反対した医師たちの職場離脱や、コロナ騒ぎの中でのデモ騒動も多分に影響しているものと考えられる。インドからの伝播も多いようである。アウンサンスーチーは、弁護士を通じて国民にコロナワクチンを打ちなさいと仰せ付ける状況にまでなった。

2 私、都築の立場

ここで、私の立場を明確にして置きたい。立ち位置を曖昧にしておくことは、ある意味で卑怯と思うからである。私は高校生時代、カールヒルティや河合栄次郎の著作を愛読したことがあり、左右の示威的な大衆活動を厭うものである。またストア派の哲学書を愛読したこともある。現在は原始仏教の経典を少しずつ繙いている。2015年の総選挙と今回の国軍の政権奪取については、NLDが過半数の議席を確保することは、国軍の25%の枠がありあり得ない、今回まさかクーデターを起こすことはないと明言していた。この点の不明を恥じ入るばかりである。しかし、2007年の騒擾事件とタンシュエ元首の院政問題については、私の公言通りの結果になり一部では大変評価された。

3 国軍とNLDの選挙戦術

選挙に関しては、国軍側USDPの選挙活動の拙さが目立つ。孫子の兵法書やデールカネギーの説得術の本が、ミャンマー語に翻訳されて市販されているが、選挙活動には活かされていないようである。この点、NLD側はシェークスピアの「ジュリアスシーザー」のアントニウスの演説よろしく、国民の感情に巧く訴えて選挙活動に活かしている。人間は理性以前に感情的な存在である。

2020年選挙では、一時は議員数を減らすであろうと言われていたNLDが、何故前回にも増して大勝したのであろうか。コロナウイルス騒ぎを効果的に活用したことも大きいが、88年事件で海外に逃れていた人たちが、テインセイン大統領の時代、2012年頃以降に大量に帰国したことも大きい。彼らは欧米流の民主主義の考えを身に付け、選挙のやり方にも知悉している。逃亡者でもあった彼らは、陰に陽に欧米由来の民主主義を称え、軍を批判して来た。

4 陰で活躍する人権活動家

現状では、国軍側が実効支配を続けている。挙国一致政府NUGは国際輿論に訴えてはいるが、米欧は経済制裁を科すことがせいぜいで、頼みの綱の参戦協力はまったく見込まれない。国民に対しては、武器を持って立ち上がれと激を飛ばしているようであるが、全面的な賛同を得られてはいない。国民の中には、武装闘争には反対な意見も少なくはない。抗戦には大義名分があるとしても、自分の子供が戦闘に巻き込まれるのを許す親は少ない。またNUGのロヒンジャ―に国民権を与えるとの考えも、仏教徒が中心の中では主力になり得ない。

私が日ごろ問題にしているのは、プロの人権活動家が紛れ込んで、純真な若者を操っていることがうかがえることである。事態が大きくなればなるほど彼らは潤う。総選挙直前までミャンマー経済は順調に発展して来ており、国軍による政権掌握当初は、無血クーデターと思われて大騒動が長く続くとは、多くの日本のミャンマー通は考えなかった。88年当時と比べると、明らかに生活レベルは向上していた。大騒ぎする要因は少なかった。

騒ぎを大きくすればするほど、国際輿論が味方になってくれるとデモ隊は考えたようであるが、その後の戦略もなかった。最初にバリケードを敷いたのは国軍側であったが、次にデモ隊側もバリケードを築き防御線を張った。デモ隊側がバリケードを築くことは、攻撃してくれと暗に催促しているようなものである。国軍側のバリケードとは意味が違う。治安部隊にがなり立てたり、女性用ロンジーのタメインで挑発したりしたことなども逆効果となった。しかし、このことはプロの人権活動家にとっては狙い通りになった。国軍の残忍さをアピールできたからである。けれども犠牲者は余りにも多い。

5 武装化する過激的若者

NUGの武器闘争に賛同した若者は、少数民族の武装組織の集落に逃れ軍事訓練を受けているが、少数民族の武装組織が一致団結して国軍に対抗することはあり得ない。カイン州の武装組織KNUは全面的にNUGを支援している訳ではない。大規模なシャン州の武装集団等は、中共の組織とつながっている。同国の圧力もありNUGとは共闘できない。国際輿論も武装闘争には賛成し難い。カチン州のKIAは以前からしばしば国軍と衝突していた。

 過激に走り過ぎると、最終的には国民からそっぽを向けられる。国民は少しずつ落ち着きを取り戻して来た。国軍側が完全に実権を掌握するのは、そんなに遠くではないような状況になりつつある。過激的な武闘派は、徐々に孤立的な傾向を深めることになろう。街に入って爆弾闘争等を続けることはテロ活動につながり、国際輿論はそのことに逆に反発する。

5 難しくなった和解

 国軍側とNLD側との和議は極めて難しくなっている。国軍側は、仮にアセアンが仲介に入ってもそれに応じることはない状況になってしまった。国軍側が焦っているとのメディアの報道と違い、私には国軍は自信を持っているように見える。国軍は、諸外国からのバッシングには慣れ切っている。現在の状況がこのまま状態で長引くと、済し崩し的に国軍が実権を握ることになると予測される。ロシアや中共が国軍支持を明確にした現在、抵抗活動が散発的にあっても趨勢は変わらない。犠牲者をこれ以上出さないためにも、効果の少ない武装闘争は止めたほうが良い。

(21.07.09)

CAMEの見解 「妄論」について…

2003年に我が国の国際協力事業団は「民主的な国づくりへの支援に向けて」という研究報告を出している。

その中で「民主化は制度を整えればよいというものではなく、民主化を機能させるシステム(政府及び市民社会のガバナンス)や民主化を支える社会経済基盤が あってはじめて意味のあるものになるとし、「本研究会では民主化の構成要素を①民主的制度、②民主化を機能させるシステム、③民主化を支える 社会経済基盤」の3点がそろうことが必要であるとしている。

実は、独立後のビルマ(現 ミャンマー)は何度も文民政府が樹立されている。残念なことだがそのたびに社会が混乱して国軍が乗り出して政権を掌握し世情が安定したところで民政移管をすること繰り返してきた。文民政府が樹立されても内部抗争や汚職・腐敗、経済混乱が広がるのだ。なぜか、

ミャンマーは国際協力事業団の指摘する民主化の構成要素①民主的制度、②民主化を機能させるシステムはずいぶん以前から準備できている。しかし、③民主化を支える 社会経済基盤がなかなか整わないのである。

まず、多民族国家であること、連邦内には130以上の民族が暮らしている。その中には今も武力闘争を続けている人たちがいる。治安を維持しているのは国軍であり、今も国軍兵士が戦死しているという実態がある。武力闘争している少数民族は国軍に発砲し不利になると国外(タイ、ラオス、中国など)に逃げるなどしてなかなか和平に応じようとしない。

民政移管を目指したティンセイン大統領が対立する少数民族に大幅な譲歩をして和解し、欧米に亡命していたミャンマー人にも帰国を促した。西欧世界は歓迎し日本も活発な投資を行うなどして経済的には豊かになってきた。もちろん武装少数民族に対しても選挙妨害を最小限度に抑える自信ができたからだろう。社会経済基盤の内、経済に関しては目途をつけ、その成果を掲げて国軍は総選挙を実施した。しかしスーチーさんのNLDに大敗した。

国軍は概して庶民から嫌われている。国軍は今も戦死者を出し続けている。警察も国内の葛藤・憎悪を抑えるべく治安の維持にあたっている。その警察も嫌われている。国内の多数派であるビルマ族の内部にも相互の不信や憎しみ対立がある。これが今まで、民政移管後の政府が内部衝突を起こして国政が混乱した一因とCAMEは考えている。

彼らの中には外国の勢力を引き入れて優位に立とうとする人たちもいて、人々を煽動する。国内に外国の勢力を引き入れることは国亡につながる。歴史の教えるところだ。

今回の軍事クーデターは「総選挙のルールをNLDが守らなかったのではないか、調査せよ」という軍の要求を拒絶したことが発端になっている。国軍が指摘する「不正行為」が選挙結果にどの程度影響したのか、実際は大勢に影響なかったのではないかと思う。

しかし、相手が国軍だろうが誰だろうが、不正行為について告発があれば受理し調査するのが法治国家のあるべき姿だろう。なぜ、スーチーさんは調査を拒否したのか、残念だ。国軍を軽んじクーデターの口実を提供してしまった。

一部「民主派」は国民に武器を持って立ち上がれと檄を飛ばしたが、これが効果を発揮するのは国軍が分裂して対立が起きて内戦になるときだけだ。その時は望み通り、外国から治安部隊が来るかもしれない。

そうなれば大量の難民が周辺国や欧米、日本に押し寄せ、ミャンマーは最貧国に逆戻りするかもしれない。しかし、国軍は一部クーデターに反発した部隊もあったようだが割れることはなかった。

「アラブの春」を覚えている人もいるだろう。その再現は誰も望んでいない。独裁政権を倒して民主政治を実現するはずが、地獄を作り出し、今でも難民がヨーロッパに向かっている。

民主化は制度を整えればよいというものではなく、民主化を機能させるシステム(政府及び市民社会のガバナンス)や民主化を支える社会経済基盤があってはじめて意味のあるものになる。

まさに都築先生の指摘どおりミャンマーの若者は「妄論に踊らされた」のだ。

軍事政権が主導した前回選挙の後もミャンマー経済は安定的に成長を続け経済基盤は固まりつつあった。今回の総選挙は軍主導ではなかった。しかし、国軍は選挙への不正な介入をほとんど行っていなかったようだ。不正行為を行ったのは主にNLD側であった。勝つことに熱中して勝つことの目的をなおざりにした。まさに顛倒夢想。残念だ。

民主制度は権力者も少数民族も庶民も法の前には平等であり、権利には義務が、自由には責任が伴う。

こうしたことは、今の日本では当たり前とみんな思っているようだが、民主制度を支えている社会経済基盤を作り上げてきたからこそ、当たり前になったのだ。今後も不断の努力により維持されるものなのだとCAMEは思う。

「日本仏教の顛倒夢想 その3 未来に向けた宗教への期待」    … その1 輪廻転生 輪廻を断つは不可能であるたとえ涅槃に至っても

…現在の日本の仏教では「輪廻からの解脱=苦の消滅」という仏陀の教えはすでに否定されているらしい。人には仏性が備わっていて念仏や題目を一心に唱えたり、座禅など修行をすれば極楽・浄土に行くことができる。そこを終点としたから涅槃がかすんでしまった??

…しかし…

CAMEは長く食品関係の仕事に従事していたので思うのかもしれないが、人間が食物連鎖の頂点にいるという意見に違和感がある。「一般に高次の消費者(=肉食動物)となるほど大型で個体数が少ない。」そうだが、その割に、頂点,にいるはずの人類の数が70億にも達しているのは多すぎではないか。

人間は毎日、食べ物を食らうことで生きながらえている。食べ物は生物の命の塊だ。米や野菜、魚、虫、哺乳類など動物の命を奪って作り出す。

食べ物から栄養素やカロリーの部分だけを抽出・分析するのが栄養学である。栄養学は、栄養・カロリー以外の要素、生き物の命を奪うことなどの事実を捨象して成立している。食べ物を作るに邪魔だから生き物の命を奪っているという事実は見えなくなってしまう。  農作物を作るために畑を耕して土中の生き物を殺し、農薬を散布して殺し、畑に出没すると言って害獣を殺したり、直接食べ物にならない命も含めて食べ物=命を私たちは食らっている。

ヒトが食らった食べ物は腸内細菌が分解してくれ、そのおかげで栄養分が体内に供給される。ヒトと腸内細菌は共生=共存共栄の関係にある。ヒトの体細胞は37兆個だそうだが、腸内細菌は100兆個といわれ、ヒトの体細胞の2.7倍もが腸内で暮らしている。

ヒトが死ぬ、火葬、土葬あるいは野垂れ死ににせよ、体は分解されて最後には原子に戻る。人の体を構成する原子の数は60×10の27乗個だそうだ。60兆の10兆倍だ (体重60キロの場合)。

ヒトの体は水素と酸素、炭素で主に構成されており、死ねば肉体は植物やバクテリアの餌・養分となり、根や茎/幹、花や種になる。分解が進めばついには水や酸素、炭酸ガスなどとなって地球上に広がって行く、今、あなたの体を構成する原子の何10億個かが死んだおじいちゃんやおばあちゃん由来である可能性は高い。牛や羊、イワシ、キュウリ、ミドリムシ、ヘドロの中の腐敗菌、新型コロナウイルスなどが由来の原子も私たちの体を構成している。

仏教では動物だけでなく植物にも仏生があると説く。しかし、キリスト教やイスラム教では、人間とそれ以外の生物の位置づけは神によって断絶されている。人間が地上を支配し利用する権限を神から与えられていると説く。動物の世界を弱肉強食として描くのも彼らの影響が大きいように思う。動物たちの食う食われるの関係は複雑であることから食物網と表現されることもあるようだ。

表面的には弱肉強食=強者が支配しているようだが、大きく地球の生命の循環として捉えるなら喰らい喰らわれるの関係は実際には共生関係にあると言えるのではないか。
そして植物だが、食物連鎖の考え方では植物は生産者で動物は消費者と呼ぶようだ。太陽と水の力で成長し自分の体を動物に提供して、その成長や繁殖を支える。

植物は動かない。種が落ちたところで生きて行く。そこで精一杯生きている。環境が悪くても文句を言わない。環境は簡単に変えられない。変えられるのは植物自身の生き方だけだ。植物は環境に合わせて自分を変えて生きている。畑を作っている人、花を栽培している人は気づいているだろうか、土の中にはおびただしい数の休眠種子が存在している。種が芽吹く環境の到来を20年、200年、中には千年以上待ち続けているものもあるという。例えば大賀ハスは2千年後に開花した。うん!確かに!植物の生き方は仏教の教えによく似合う。

ところでマネージメントの世界では食物は「原材料」であり加工され「製品」となって出荷販売され、小売店や飲食店を通じてヒトが消費している。この全体のプロセスにサプライチェーンと命名している。

「サプライチェーンを最適化する」とは収穫から販売までの全てのリスクとコストを緻密に分析しそれを実行することである。その過程での大きな課題の一つが、ロスの低減である。ロスは各過程での損耗や廃棄などから生じる。家庭での廃棄も視野に入れて検討する。物流を含むすべての企業間取引を含めて検討し実行するのだが、説明を簡単にするために一企業の例として挙げてみる。

今利益率5%の食品製造企業が原材料のロスを1千万円削減したら2億円の売り上げ増加と同じ経済効果があるなどと説明して実行の動機づけ、目標設定を行う。実はCAMEもそのような指導をしていた。

だが、食材は人類が奪った動植物の生命の塊であるという視点に立って、原料のロスは、命の無駄遣い。奪った多くの生命をドブに捨ることになる。だからロスを無くしましょう。という論理もあっていいではないか。しかし、経営指標として落とし込んで金額や数値で表すことは難しい。CAMEは経営指導の動機づけや目標設定に落とし込むことができなかった。非力・無力であった。

話を戻す。

元々の仏教では輪廻転生の教えを説いているが、例え涅槃の境地に達しても原子のレベルで見ると大きな地球の循環の中で終わることなくつながっており、輪廻は断ち切ることはできない。命は収奪と共生の中で育くまれそして滅する。その循環は終わることがない。

ヒトの魂が本当に極楽・浄土にたどり着いたかは誰も知らない。極楽・浄土があるとすればそこにはすでに過去からの善男善女の魂が阿弥陀如来や法華経を南無…と唱えることで成仏して夥しくも賑わしい。浄土にはお釈迦様をはじめ数十億の魂が滞留していることになる。否、山川草木悉皆成仏であるなら、ヒトだけでなく宇宙の原子の数ほどの動植物が成仏して浄土を満たしていると考えることもできる。

元々仏教では輪廻が苦の根源にあると説くが、むしろ生き物は輪廻の循環の中にあり続け、我は時たまヒトとして今存在していると考えるほうがCAMEには納得がいく。来世がゴキブリやカナヘビへの転生であったとしても、それを苦と思わないでよいではないか。

日本仏教の顛倒夢想 その2-2 西欧科学からの批判に迎合し、行きつく先は地下鉄サリン事件

今日の寺院は、おおむね葬式や法事のための会場か、さもなければ観光目的の文化財の一種と化している。僧侶は、古風な衣装を着用し、経典の言葉を呪文のように唱える、不可思議な存在のように思える人もいるだろう。」しかし「近現代を通して日本の仏教は時代の最先端の科学との接点を持ちながら、仏教の可能性を問い直してきたのである。」(「科学化する仏教」碧海寿広 角川選書 1700円28p)との見解に従って私見を述べてみたい。
「科学に耐えられる仏教」の見直しの試みが江戸時代の前から、欧米との接触の中で続いてきていた。ただ、積極的な対応とは言えなかった。

しかし、明治時代にはいると欧米から流入した「科学」への対応が大きな課題として浮上してきた。すでに前項で述べたように、神仏分離令に発する混乱の仏教受難の中であった。その時代をどのように乗り切ったのか、またその中から地下鉄サリン事件にまでつながる系譜が育まれていった。西欧のもたらした近代「科学」と日本の仏教思想の相克について確認したい。

その前提として仏教と西欧近代「科学」の親和性についても触れておく。

その1「色即是空・無」の思想とゼロ/無限概念…

西欧の「科学」はゼロに目覚めてから著しく発達した。また科学実験の結果から真空の存在を見出すなどからキリスト教に比べて仏教の教えのほうが「科学」と親和性があるとの見方が生まれた。仏教界では西欧近代科学を活用して仏教哲学の正しさを証明できるのではないかという期待が生まれた。

その2「輪廻・転生」の思想と進化論…

キリスト教では人間は天地創造の最終日に神の姿に似せて作られた特別な存在であり、神から他の動物の支配を任されていると教えている。しかし仏教は輪廻・転生が前提としてあり、生まれ変わって虫になったりネズミになったりすることもあると説いていたので人間と動物の垣根は低く「進化論」も抵抗なく受け止めることができた。

次に西欧科学が仏教に突き付けた主な批判点を見てみよう。それは2つ、宇宙認識と大乗仏教の否定である。

その1、仏教の「宇宙観」。

果てなき虚空の中に巨大円盤(風輪)が浮かびその上にさらに水輪、金輪が乗っていて地上の諸相が展開しており、中央に須弥山がそびえていると言うものが仏教的な世界観であった。この説には西欧の知識人だけでなく、本居宣長など日本の知識人からも荒唐無稽と批判されている。すでに戦国時代に南蛮人が西回りと東回りの航路を使って両方から日本列島に到着していたわけで、地球(風輪)が球体であることは知れ渡っていた。

こうした誤りについて、ずーっと仏教界がほっかぶりしていただけである。しかしキリスト教だって少し前まで世界は巨大な水盤の中心にあって、水盤の果てでは海水が滝となって落下しているなどと考えていたのだから、似たり寄ったり。またキリスト教では地球は世界の中心にあるとし、これに対する異論は排除され時に処刑されることもあった。しかし仏教では風輪が世界の中心と言っているわけでもないので根幹に係るほどの「宇宙観」ではない。うやむやのまま?今では坊主も含めて誰もが、地球は丸く宇宙の中心でもないと思っている。

尤も、この仏教の宇宙観なるものも、釈迦牟尼が唱えたわけではなく(彼は形而上学的な問いかけには答えず、こうした問いかけそのものが正しい悟り、涅槃の役に立たないと言っている)仏教の本筋から外れていたのである。

その2、大乗非仏説・西欧の文献学の考証

「仏典の科学的研究」から発せられた大乗非仏説が日本にもたらされた。大乗仏教はもともとの釈迦の教えではなく、後世の僧侶の創作でありその教えは元の教えに比べて劣っている(大乗非仏説)という主張だ。文献学による考証をもとに欧米から提起された。これはスリランカのパーリー語で書かれた上座部の主張を上書きしたものとみることができる。上座部の教えは大乗を否定しているので結論は決まっている。

ところが、西欧崇拝の影響からか日本人学者や日本の仏僧からも大乗非仏説を説くものが現れた。現在も「科学的な研究結果により否定される内容については、それを受け入れて仏教の主張を捨てなくてはならない」とダライラマや佐々木閑はいう。CAMEもそこまでは同意できるのだが、仏教を科学的?なものに作り替えようとする人々も出てきて、今日までそのような活動を続けているのはいかがなものかと思うのだ。

西欧文献学による検証の結果、三蔵の全てを釈迦牟尼が語ったのではなく多くが後世の創作であること、中国仏教、日本仏教がもとにしている天台大師智の「釈尊は華厳、阿含、方等、般若、法華、涅槃の順番で経を説いたという「五時教判」は間違いであり、阿含経だけが釈尊の言葉を最も直接的に伝えるものである」と結論付け、現在その正しさは認められている。

それにもかかわらず、天台宗や日蓮宗の方たちが法華経が釈迦牟尼の最終の教えで、最高の教えであると胸を張っているのはいかがなものか、少なくとも天台大師智の「五時教判」に頼らず、新たな視点に立って経典を読み直し、再評価することが必要ではないか。

西欧の文献学の検証に悪乗りした人の中には「仏教の経典群は必ず、『是の如く我れ聞きぬ(如是我聞)』という枕詞がついている」と指摘して釈迦牟尼を語る「偽教」だという指摘もある。如何にもこの経典の内容は直接仏陀釈尊から聞いたものであると装う狡猾極まりない創り方だという。

仏教の根本哲学には諸行無常、諸法無我にあることはあまり異論がないと思う。この立場に立つと仏典も諸行無常であり、仏教も諸行無常であるからともに一所にとどまることない。経典が更新されたり、新たに創作されることのほうが仏法の根本思想に沿っている。そして、それが活力となって仏教の命脈を保ってきた、原動力であると考えることはできないだろうか。巻頭の「如是我聞」は時代と環境に対応して集合し仏教の経典として定めましたという印、仏教的な経典作成のしきたりであったとCAMEは考える。

キリスト教の聖書やイスラムのクルアーン(قرآن qur’ān、コーラン)は神や預言者が人類に与えたもの絶対真理であり一言一句変えてはならないと見なされている。仏典とは位置づけ、目指すものが全く違っていることを理解すべきだ。「偽教」と誹る僧や学者は釈迦牟尼の教えが理解できていない。

さりとて、明治以降仏教を西欧近代科学に合わせようとするあまり「仏教心理学」を立ち上げて病気が治るなど表層的な言揚げをしたり、催眠術と仏教の関わりを研究したり。座禅を組まずに薬物でインスタントな涅槃が得られると勧めたり。ついには座禅組まなくとも脳からアルファー波が出てさえいれば音楽鑑賞やゲームをしていてよいことにまでなってしまう。アルファー波は修養の結果脳波に現れた物理現象だが、その部分だけに注目して脳波の状態をコントロールできれば悟りが得られるなどという顛倒夢想に陥ってしまった人たちが煽動している。原因結果の誤謬?科学にとっても迷惑ではないか。

オウム真理教は顛倒夢想を典型的に実践した。宗教と(似非)科学を結んぶことに熱心だった。信者はヘッドギヤを付けて自分の脳波をコンピュータでモニタリングして波形を観察し修行と称した。ついに教祖は未来を見通すことができると確信した。教祖の思惑にそぐわない者をポア(=殺害)することも厭わなくなった。さらには自分の予言を成就すめために地下鉄をサリンガスで満たした。釈迦牟尼は人を殺せと教えたのか!根本理念ら余りにも遠い所へ行ってしまった。

さて、西洋の近代科学は彼らの唯一の絶対神(イエス、エホバ、ヤハゥエetc・・・)の存在、全知全能を証することを当初の目的とした。
何故、同じキリスト教徒同士が殺しあうのか、異教徒との戦い(聖戦)で大敗するのはなぜか。厚い信仰心と敬虔な祈りの生活を送る者が悲惨な生涯を送り、神を冒涜するものが富と特権を享受しているのはなぜか。本当に「神」は存在するのか?

人知を超えた神の意思や理りを究めることが当初の哲学・科学の狙いだった。聖書では神が人間に地球の支配を委ねたのである。その付託を実践するためにも自然界の法則を理解し支配・実践に寄与する科学が求められた。
しかし、神の存在を証明するはずの科学は探求するほどに、神の不確かさが増していく。地球は平であったものが球になり、天体のほんの一角を占めるに過ぎなくなってしまう。7日で世界は作られたはずが地球の歴史は億年単位であることが分かってしまう。

それゆえ、近代哲学の源流を作ったデカルトは方法的懐疑と称して「我思う故にわれあり」という結論を導いたが、それは神を証明するための前提となるベースづくりだったようだ。…不勉強なCAMEにはわからないの…いったいこの「我」と「思う」はどんな関係にあるのか、思わない我は成立しない。「思い」は私たちの身体内外的関係性に依存する。熱いとか、臭いとか、煩いとか、きれいだとか、早いとか、好きとか、腹減った、なんでもオーケー…死のその時まで「思う」は移ろい、とどまることない。・・・空ではないか?結局、自家撞着?・・・どなたか、教えてください・・・

科学の特性は諸事、物理的な現象に還元しバラバラにする(分析)そして再組み立てをする。諸事・諸物について知識と身体性に分離して知識の集積に焦点を当て、身体性を捨てたのだ…デカルトの意図は違っていたかもしれないが…

オウム真理教のたとえでいうならば、脳波(電気信号)に着目し、どのような電気信号が脳のどの部位からどのくらいの強度で出てくるのかを計測する。脳波という科学的な測定方法?で客観数値として修業のレベルを判定しようとした。

美しい景色を見た一瞬の感動なども脳波のアルゴリズムで説明することができるように思うかもしれない。(脳科学者の茂木健一郎氏は脳内にホムンクルス=小人が住んでいると言っている)しかし、ニューロンの伝達をいくらいじくりまわしても信号という断片の集積になってしまう。

個人の抱いたその瞬間の感動は身体感覚(視覚、聴覚、皮膚感覚)やそれらを含む諸経験の塊が感動を産んでいるのであって、データを集め分析をしても感動そのものにはたどり着けない。科学を極めても、生き甲斐とか人生観などはバラバラのパーツに分解され再組み立てされるだけであり、データ収集、組み立てのプロセスでは常に過去知、しかも往々に未知が隠蔽された過去である。

科学技術の急速な進展が高度な情報社会を生み出し、個人のデータを握られ管理されつつある。また、スマホやp/cを開けば既知の知識は簡単に取得できる時代になっている。科学の発達は人間の持っている身体感覚と知識領域のうち知識を急速にAIに置き換えつつあり、身体感覚はは置き去りにされてきているのではないか。

それにもかかわらず、相変わらず日本だけでなく世界中が子どもたちへ知識注入教育を進めている。知識はスマホやp/cで手に入る時代だ。それに支配されない、使いこなすために、数値や言語表現から漏れてゆくクオリア(質感覚)の涵養が求められているではないか、知識は理解を生むが今欠けているのは体全体で受け止める納得性だろう。必ずしも宗教である必要はないのだが、子どもたちだけでなく大人も含めて、身体感覚を養う場づくりが求められていると思う。

地下鉄サリン事件を繰り返さないために。

日本仏教の顛倒夢想 その2-1 廃仏毀釈は日本を一神教の神聖国家に作り替えることを狙った」

明治政府の廃仏棄釈(=神仏分離令)については…必ずしも仏教弾圧とまでは言い切れない。むしろ宗教界の神道側の過剰反応と寺請/檀家制度に対する一部住民の反発により起きた混乱の中で、各宗派は僧侶の神職への転身。大名、富豪などの大口の寄進や寺の所有地からの収入の激減。さらには政府に土地や財産を没収されるなどで危機に直面した…と言う説があるがCAMEは疑わしく思っている。
明治政府は西欧諸国が全て一神教(キリスト教)国であることから対抗上天皇を中心とした一神教国「神国日本」に作り替える必要があるとの思い付きで、仏教と神道を切り離し神道国教化に着手したのだと思う。新政府のトップは口では尊王攘夷と言いながら、天皇を隠で「玉(ぎょく)」などと言ったり、権力を握ると手のひら返しの確信犯で攘夷を捨て積極的な外交を進めたような連中である。節操などは持ち合わせておらず、信心深かったとも思えない。明治政府は徳川や前田家などの官僚を集めて政策立案、行政執行を進めていたのが実態という。(NHKドラマに出ている渋沢とかもその一人)薩摩藩士はお巡りさん、長州の奇兵隊には斬首されるものも出るなど、倒幕後の恩恵はショぼかった。

当時の庶民は天皇の存在さえ知らないものも多く、一神教など望んでいたわけでもなし、現在の状況を見ても分かるように日本の風土になじまなかった。
この場当たり的で時代錯誤な政策が上手く行くはずなく、約10年でポシャった。その経緯は以下の通り。
…明治元年(1868年)、明治新政府は「王政復古」「祭政一致」の理想?実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するため、神仏分離令を発した。明治2年(1869年)6月には、神祇官は太政官から独立して、行政機関の「筆頭」に置かれた。明治4年には神祇省となり太政官の下になり、さらに明治5年3月14日(1872年)の神祇省廃止・教部省設置。明治10年(1877年)には教部省も廃止し、内務省社寺局に縮小され、神道国教化の政策は放棄された。代わって「神道は宗教ではない!!」ということにした。…(この項はウイキペディアによる)
明治政府のご都合主義、軽率な政策はしかし日本の仏教に深刻な影響をもたらした。 今でも、その傷跡が残っている。
興福寺と春日大社の分離は奈良公園を生み出したが(その間の苦闘は大変だったとしても)まだまし。寺社巡りなどの趣味がないCAMEだが仕事がらみで立ち寄った長野県の戸隠、大分の英彦山、神奈川の大山など、かつて大勢の僧侶がいた宿坊の連なりなどが茫々たる空き地となって、そのまま参道脇に残されていたりする。今なら国宝級の仏像や文化財が薪となったりゴミとして捨てられ、廃寺となったところすらある。
こうした苦境への対策のひとつが庶民の葬儀を盛大に行うことだった。それにより経済的基盤を確保を進めた。もちろん唐突に始めたわけではなく、それなりの長い歴史がある。
僧侶が積極的に葬式にかかわるようになったのは室町時代になり、旧来の大寺院が没落し、代わって禅宗が広まってからである。高級武士層に禅宗の荘厳な葬式が大いに人気を博したことが、発端だった。武士は基本的に戦士であり、つねに死を意識せざるを得ない。それが葬式に対するつよい関心を呼び起こしたらしい。
禅宗が葬式をおこなって栄える事態を見て、今度は浄土宗が葬式をおこなうようになる。さらにそれにならって、すべての宗派が葬式にかかわることになっていく。この時点で、葬式仏教は、高級武士層にとどまらず、民衆にも及んでいったのである。
神仏分離の混乱の後、日本の人口の増加、貨幣経済の一層の浸透、各宗派の檀家の増加により葬式の数も増えそれに伴って寺の収入も増えた。お寺の経営も一息ついた。そして多くの寺と僧侶が今も葬式・墓守業に精を出している。

日本仏教の顛倒夢想 その1 明治維新の前

前回とは言っても1年前になってしまったが、日本のお寺があたかもお坊さんの所有物のようになっているという顛倒夢想について書きました。寺は本来檀家の所有なのだが、いつの間にか、坊さんの家族が占有し続け代を重ねることで、檀家は所有者ではなく利用者になってしまったのか??日本の仏教が葬式仏教になり、明治以降は坊さんが公然と結婚・子供を作り、寺の跡継ぎにするようになったからだ。この状況を踏まえて「現代に相応しい大乗仏教を超える新たな思想を打ち立てる時ではないか」「般若心経を唱えているお坊さん、自身の寄って立つ基盤を明確に示して欲しい。堂々と、今の在り方は「顛倒夢想」ではないことを私も含めて檀家衆に語って欲しいと切に願っています。」と結んだ。

そこで今回は、明治以降の宗教思想・論理の再構築に向けた挑戦について振り返ってみる。
日本に仏教が伝えられて以後、時代状況に対応した改革が重ねられ、新宗派の導入・誕生などしてきた。
この経緯についてはCAMEより詳しい人も多いかと思うが、すでに知っていると思う人はこの項を飛ばして次回の…「日本仏教の顛倒夢想 その3 未来に向けた宗教への期待」…に読み進んでもらって構わない。

日本の仏教の歴史を大雑把にとらえると、奈良時代には海外から来た新思想として国家鎮護の担い手だった。平安時代には真言、天台などの密教の即身成仏、一切衆生救済、加持祈祷により心身の病を救うとして広まった。その間神仏習合思想も広がる。鎌倉時代には浄土宗、禅宗、日蓮宗、時宗などが生まれ、上流階級のものであった仏教は武家や民衆にも普及し大衆化が進んだ。
とりわけ神仏習合は儒教や道教など中国の思想も取り込みつつ「天道(おてんとうさま)」の観念を社寺が共有し、教義も行動様式も異なって見える諸宗派だが根本は同一の思想的枠組にあるという日本特異な宗教観である。(西欧でもカトリックと古代ギリシャ哲学の融合の試みが1453年東ローマ帝国滅亡を切っ掛けに進められていた=中世ネオプラトニズム…どこでも似たようなことをやるものだが、根付くことはなかったようだ。ちなみに日本では1467年に応仁の乱が起きており、天道思想もこのころから定着してくる)

神仏習合により本地垂迹説やその逆説など見方は多少?違っても上下を分かたず神社を含めて各宗派の根本は変わらないことが共有されていった。その結果、日本列島内では欧州で見られるような他宗派虐殺や宗教戦争なぞは起こらず、宗論(=ディベート)を行うなどで争いを収めた…一向一揆などは宗教戦争ではないし、島原の乱の原因も宗教対立ではないと思う。当時はキリスト教も「お天道様信仰の一派」と受け止められていたし、ザビエルたちもエホバを天道様と訳して布教したのだ…しかし島原の乱が決定的な契機となりキリスト教禁圧につながった…

神仏習合は、江戸時代を通じて治安安定の基盤をもたらした。 (キリスト教や日蓮宗の一派など一部で抵抗し続け弾圧の対象となったが、一神教には多くの人たちがなじめなかったのだろう)見方を変えれば、このような変転の中で日本の仏教が釈迦の教えとは、はるかに遠いところに来てしまっていたともいえる。

檀家制度が確立したのもお天道様により宗教対立が止揚されたことで可能だった。

しかし、明治に入って仏教界は二重の環境変化に襲われることになる。ひとつは明治政府の神道国教化政策による神仏分離(廃仏毀釈)。もう一つは欧米から入ってきた科学による批判である。これらに対してお坊さんたちも手を組まねいていたわけではないが、神仏分離の衝撃を超えた新時代を代表するような新宗教諸派の出現は都市化の進展を待たねばならなかった。

僧侶の顛倒夢想

坊さんは毎日、勤行(お寺の本堂等でお経を唱える)に励んでいるはずです。

だが川崎にある臨済宗寿〇寺の坊さんは一昨年、親戚の法事のとき「魔訶般若波羅蜜多…ムニャムニャ、ウニャウニャ…ギャーテーギャーテー」と手抜き読経をやらかした。噂に聞いたことがあったが、本当にムニャムニャ経をやるのでビックリ。CAMEが施主だったら坊主の頭をポカリするところ。まあ、こんなのは例外と思いたいです。まあお経が聞き取れない檀家衆にも責任があるとも思います。

さて「お寺は誰のもの?」と問われれば十中八九の人は「住職のもの」と答えるのではないか、しかしこれは間違いです。お寺は檀家のもので、あくまでも檀家が力を合わせて維持するものです。お寺を建て皆で清掃し、お金を出し合って建物を維持し、そこに宗派の本山から供養の専門家として住職を招き入れるのが本来。

仏教ではお坊さんは出家する(=家族、財産、社会的な地位等をすべて捨てる)ことが前提で、日本以外の国々の僧侶は皆「出家」しており、結婚して妻や子どもと暮らしているなどありえないのです。まして住職の座を代々世襲すること等トンデモナイ「破戒」です。

この檀家制度は、江戸幕府が強制的に作り、人々に押し付けたものです。幕府にとってはキリスト教排斥の手段であり、寺の檀家制度に戸籍制度を肩代わりさせることで行政コストを圧縮できる一石二鳥てあったと思われます。寺にとっても、檀家が増えて他宗派に横取りされない仕組みで、地域の人々の身元保証という末端の行政事務を担うことで、社会的な地位の安定を得ることにつながった。今時は信教の自由という考えが浸透しているのでトンデモナイことかもしれません。

しかし、当時の人たちの立場からは、寺が葬儀を担い、死別による家族の悲嘆や孤独感、絶望感、自責の念などからくる精神的、肉体的な苦痛を和らげて 日常生活を支える役割を持っていて、地域コミュニティの中心として会合や祭りの場を提供していたし、さらに、寺子屋で教育を施したり、身寄りのない子どもや老人を収容すると言った地域福祉なども行っていました。

CAMEの曾祖母は隠居後、北海道の山奥で庵を立てて念仏三昧の暮らしをしていたのですが、あるとき駆け落ち?した坊さん夫妻が助けを求めて転がり込んできたそうです。曾祖母は哀れに思い夫婦のために住まいを与えて、寺を起こしました。今では多くの檀家を抱え、本堂には曾祖母の木造が置いてあり、寺の開基(創設)者として祭られています。住職は駆け落ち?してきた夫婦の子孫が代々継承しています。CAMEは僧侶が妻帯し、あたかも寺を私有しているごとく住職の座を子孫に継承させる仕組みは間違っていると決めつけるつもりはありません。子どもが住職の座に就くためには仏教の知識や修行を積んで本山が認めるレベルに達しなくてはならないし、檀家も本山から訳の分からない僧侶が派遣されるより、慣れ知った坊主の息子が継承する方が安心できるというものです。

ただ、本来の出家の形がまるっきり霧消した今の仕組みは、顛倒夢想そのものであると思います。今、檀家は減り続け、お寺の経営も行き詰っている所が多いようです。いろいろ対策は立てられるかもしれませんが、根本が顛倒しているままでは何をやっても小手先の対処としか言えません。

現代に相応しい大乗仏教を超える新たな思想を打ち立てる時ではないかと思います。

毎日、般若心経を唱えているお坊さん、自身の寄って立つ基盤を明確に示して欲しい。堂々と、今の在り方は「顛倒夢想」ではないことを私始め檀家衆に語って欲しいと切に願っています。

正常性バイアスと顛倒夢想

新型コロナ禍は「多数派同調バイアス」(majority synching bias)や「正常性バイアス」(Normalcy bias)に陥っ人々の行動や意見が噴出し対策の遅れを招きました。
バイアス(bias)というのは、心理学的には「偏見」「先入観」「思い込み」などと定義されています。「多数派(集団)同調バイアス」と「正常性バイアス」は認知心理バイアスのひとつです。
過去経験したことのない出来事が突然身の回りに起きたとき、その周囲に存在する多数の人の行動に左右されてしまうのが多数派同調バイアスで、どうして良いか分からない時、ほかの人の行動をまねることで乗り越えてきた経験、つまり迷ったときは周囲の人の動きを探りながら同じ行動をとることが安全だと思い、行動を選んでしまうことです。典型は韓国のセオル号沈没事件の乗客の行動です。船が沈んでゆくことが分っていながら多くの若者が脱出を試みることなく船室に閉じこもったまま溺れ死んでゆきました。泳ぎを知らないことが、強く行動を制約した面もあるでしょう。しかし、艦内放送が何を言おうとこのままでは100%溺死することが明らかになっても皆が動かないから動かないことを選択したのです。

さて、正常性バイアスの方ですが、こちらは異常事態に陥っても、普段の思考や行動様式から抜け出せずに混乱したり誤った方向に進んでしまうことを指します。
残念なことに、今回わが国内閣総理大臣自身がこの正常性バイアスに陥って、被害を拡大させた面があります。彼は緊急事態宣言に際して「熟議をして慎重に」行うと言ったとマスコミは伝えています。
緊急事態は「熟議や慎重」には対処できないからこそ緊急なのではないのか。緊急時のリーダーは果敢に即拙を恐れず、多数の反対にあっても断行するのが本来の姿でありませんか?この「熟議」「慎重」のために打つ手が遅れた部分は否定しがたい、さらに各家に2枚ずつ「アベのマスク」を配布するなどという発想も平常時なら笑って済ませるところでしょうが、国民の怒りと嘲りを招いたのでしょう。CAMEのところには未だ届いていませんが、もうお店には沢山マスクが並んでいます。
野党も「パンデミックが発生していると認識」しながら、対策の内容を厳しくチェックする…という普段の対応に終始してしまい、東日本大震災の経験を活かすことが出来ませんでした。結果として一部を除いて支持率を下げてしまい党勢回復のビックチャンスを棒に振ったのです。
大手マスコミだって、普段通り「大変だ」を連発し「政府はケシカラン」というばかりで、その結果国民の評価は大きく下がり、ネット用語だった「マスゴミ」が多くの市民に共有されてしまいました。
総じて、日本の各界リーダーは正常時には能力を発揮しますが、危機には本当にどうしようもなく弱い。

野党も大手マスコミも多くの国民が「三蜜」「自宅待機」の必要性を理解し自発的に緊急事態対応をしていることを正当に評価できませんでした。むしろ、独裁や強権体質の外国政府のやり方を高く評価しているようにさえ感じたのはCAMEだけではないと思います。

わが内閣総理大臣が学校を休校にして感染防止対策としたことは高く評価してよいと思います。あの時点では、若年層には新型コロナの感染は極めて低く、感染しても症状は軽いという専門家が多かったようですが、日本では2~4月は卒業や新入学の時期で子どもたちだけでなく、その親も含めて様々な行事や交流に参加します。事態を放置していれば大変なことになっていたと思います。

事態をパンデミックと正しく理解して国のリーダーシップを取った政治家やオピニオンリーダーはとても少なく、正常性バイアスに引きずられて行ったと言えます。

国民の多くが危機対応モードに発想転換をしていることに、戸惑ったり「政府の言いなりになっている」といった勘違い批判が見られました。危機を危機として受け止め行動転換ができないこの現実。これこそ顛倒夢想です。

CAMEは今回の国民の行動。これこそ自然災害が多く「禍に鍛えられ」て育まれた日本型民主主義の強さのではないかと思っています。政府が警察や軍隊、監視システムを動員するなど強権を振るわなくとも国民各自が自発的に考え行動し、工夫対処し、当面の危機を乗り切った。私たちの強さを誇りたいと思います。

さて次回、顛倒夢想に向けて日本仏教が抱えている根源的な課題について触れてみたいと思います。

顛倒夢想と新型コロナ禍

「遠離一切顛倒夢想 究境涅槃・ おんりいっさい てんどうむそう くきょうねはん」=一切の顛倒夢想から遠く離れ、究めた心が涅槃(苦が全く生起しない)の境地ですよと翻訳できると思います。
顛倒夢想(てんどうむそう)=「建設的なのに嫌い・破壊的なのに好き」と感じる逆さまの意識という見解もあります。
つまり「自分の為になる事は嫌いで、ダメになる事は大好き」
例えば、糖尿病などの生活習慣病の人は、体のために運動して食べ物に気をつけると良いと知りながら相変わらずだったり、そして足の指が腐ってきて慌てた友人がいました。また、高校時代シンナーを吸っていて、バレたため退学になりかかった奴や、酒の飲みすぎからアル中になってしまった奴もいる。CAMEはがんになったにもかかわらず、煙草を止めないので家族や友人から顰蹙を買っている。

しかし顛倒夢想をこうした個人の在り方に還元してしまうのは大乗仏教の精神から見て狭い見解と言えるのではないだろうか。もっと社会性を持った言葉として捉えてみよう。今コロナウイルス騒ぎで目に付く様々な現象について、顛倒夢想を探ってみたい。

そんなわけで次回は「正常性バイアス」について

無・空・ゼロ

 般若心経は各宗派が共通して使っている大乗仏教の基本経典(一部例外はある)です。 その大乗仏教は紀元前後に起こり,ヘレニズム文化の影響の中で発達し1世紀末にはほぼその姿がはっきりとしていたことが通説となっています。 しかし、ヘレニズム文化の盛期や大乗仏教の成立は紀元1世紀なのに、『般若心経』の成立は2~3世紀だという説と7世紀ごろと言う説があり、どちらにせよ大乗仏教成立よりずーっと後です。小乗仏教へのアンチテーゼとして大乗仏教の教えがコンパクトにまとめられていたから普及したという解釈は後付け臭い、無理があると思います。
「大乗仏教が生まれた当時のインドは、ヘレニズム文化圏の東端にあたり、ギリシャ、イラン(ペルシャ)系の王朝が次々と支配し、その 文化の影響を受けていました。仏像が生まれたのはギリシャ彫刻の影響ですし、救いや光の性質を持ったたくさんの仏・菩薩が生まれたのはイランの神々の影響 です。 当時のヘレニズム文化圏では宗教を超えて霊的な「智慧の女神」に対する信仰が広がっていましたので、『般若心経』にもその影響があったかもしれませ ん。ギリシャの智慧の女神ソフィアの影響を受けて、イランでは河の女神アナーヒターが智慧の女神となりました。アナーヒターは観音菩薩の誕生にも影響を与 えたと言われています。」との説明が株式会社鎌倉新書のホームページの般若心経の解説に載っています。
  こうした捉え方が一般的なのでしょうが、CAMEは数学の影響も見逃せないと考えています。
  般若心経は空とか無と言った教えがその核心ですが、発想のルーツは0(ゼロ)の発見だとCAMEは思っています。
 そもそも、0(ゼロ)はバビロニア人の発明で紀元前4世紀くらいには計算する時にその桁が空位であることを示す記号だった。バビロニア人は六千五百と書くのではなく6500と書き記していた。計算するには0(ゼロ)で桁を埋める方法は便利で、今でも使われているわけ。
  そのバビロニアにアレクサンダー大王が現れ、西インドを侵略したのが紀元前327年。その時同行したバビロニア人を通じて0(ゼロ)がインドに伝わった。0(ゼロ)はインドで発達してイスラムに伝わり、長らく拒否を続けていたヨーロッパにも17世紀あたりから0(ゼロ)を受け入れていった。…この間の事情は「異端の数ゼロ」チャールズ・サイフェ/ハヤカワ・ノンフィクション文庫に…拠っている。
 0(ゼロ)にどんな数をかけても0(ゼロ)だ。どんな数を0(ゼロ)で割っても∞(無限)になってしまう。そう!色即是空 空即是色とはこの数学の基本を宗教哲学として取り入れたものだ。その結果、今日の物理学や素粒子理論や天文学等科学的知見とつながる普遍性を宿しているのだとCAMEは考えています。