正常性バイアスと顛倒夢想

新型コロナ禍は「多数派同調バイアス」(majority synching bias)や「正常性バイアス」(Normalcy bias)に陥っ人々の行動や意見が噴出し対策の遅れを招きました。
バイアス(bias)というのは、心理学的には「偏見」「先入観」「思い込み」などと定義されています。「多数派(集団)同調バイアス」と「正常性バイアス」は認知心理バイアスのひとつです。
過去経験したことのない出来事が突然身の回りに起きたとき、その周囲に存在する多数の人の行動に左右されてしまうのが多数派同調バイアスで、どうして良いか分からない時、ほかの人の行動をまねることで乗り越えてきた経験、つまり迷ったときは周囲の人の動きを探りながら同じ行動をとることが安全だと思い、行動を選んでしまうことです。典型は韓国のセオル号沈没事件の乗客の行動です。船が沈んでゆくことが分っていながら多くの若者が脱出を試みることなく船室に閉じこもったまま溺れ死んでゆきました。泳ぎを知らないことが、強く行動を制約した面もあるでしょう。しかし、艦内放送が何を言おうとこのままでは100%溺死することが明らかになっても皆が動かないから動かないことを選択したのです。

さて、正常性バイアスの方ですが、こちらは異常事態に陥っても、普段の思考や行動様式から抜け出せずに混乱したり誤った方向に進んでしまうことを指します。
残念なことに、今回わが国内閣総理大臣自身がこの正常性バイアスに陥って、被害を拡大させた面があります。彼は緊急事態宣言に際して「熟議をして慎重に」行うと言ったとマスコミは伝えています。
緊急事態は「熟議や慎重」には対処できないからこそ緊急なのではないのか。緊急時のリーダーは果敢に即拙を恐れず、多数の反対にあっても断行するのが本来の姿でありませんか?この「熟議」「慎重」のために打つ手が遅れた部分は否定しがたい、さらに各家に2枚ずつ「アベのマスク」を配布するなどという発想も平常時なら笑って済ませるところでしょうが、国民の怒りと嘲りを招いたのでしょう。CAMEのところには未だ届いていませんが、もうお店には沢山マスクが並んでいます。
野党も「パンデミックが発生していると認識」しながら、対策の内容を厳しくチェックする…という普段の対応に終始してしまい、東日本大震災の経験を活かすことが出来ませんでした。結果として一部を除いて支持率を下げてしまい党勢回復のビックチャンスを棒に振ったのです。
大手マスコミだって、普段通り「大変だ」を連発し「政府はケシカラン」というばかりで、その結果国民の評価は大きく下がり、ネット用語だった「マスゴミ」が多くの市民に共有されてしまいました。
総じて、日本の各界リーダーは正常時には能力を発揮しますが、危機には本当にどうしようもなく弱い。

野党も大手マスコミも多くの国民が「三蜜」「自宅待機」の必要性を理解し自発的に緊急事態対応をしていることを正当に評価できませんでした。むしろ、独裁や強権体質の外国政府のやり方を高く評価しているようにさえ感じたのはCAMEだけではないと思います。

わが内閣総理大臣が学校を休校にして感染防止対策としたことは高く評価してよいと思います。あの時点では、若年層には新型コロナの感染は極めて低く、感染しても症状は軽いという専門家が多かったようですが、日本では2~4月は卒業や新入学の時期で子どもたちだけでなく、その親も含めて様々な行事や交流に参加します。事態を放置していれば大変なことになっていたと思います。

事態をパンデミックと正しく理解して国のリーダーシップを取った政治家やオピニオンリーダーはとても少なく、正常性バイアスに引きずられて行ったと言えます。

国民の多くが危機対応モードに発想転換をしていることに、戸惑ったり「政府の言いなりになっている」といった勘違い批判が見られました。危機を危機として受け止め行動転換ができないこの現実。これこそ顛倒夢想です。

CAMEは今回の国民の行動。これこそ自然災害が多く「禍に鍛えられ」て育まれた日本型民主主義の強さのではないかと思っています。政府が警察や軍隊、監視システムを動員するなど強権を振るわなくとも国民各自が自発的に考え行動し、工夫対処し、当面の危機を乗り切った。私たちの強さを誇りたいと思います。

さて次回、顛倒夢想に向けて日本仏教が抱えている根源的な課題について触れてみたいと思います。

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camepost

元中小企業診断士、福祉サービス第三者評価者(東京、神奈川)、社会的擁護関係評価者、介護福祉経営士一級、